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絵画でひもとく!分かりやすい西洋と日本の美術の歴史

時代が移り変われば、絵画の表現方法も技法も変わっていきます。
この記事では、その時代に主流となった技法と代表的な作家の作品を紹介しながら、西洋と日本の美術史について紹介していきます。
芸術の形は多岐にわたりますが、なかでも大きなジャンルは彫刻絵画でしょう。絵画は旧石器時代の洞窟絵画から始まって、現在まで長い長い歴史があります。ここでは、絵画の歴史を年代別にご紹介しましょう。

絵画としての原始美術・洞窟壁画/旧石器時代 紀元前40000年~前3500年

「原始美術」とは、旧石器時代に洞窟内などに描かれた絵画です。代表的なものはスペインの「アルタミラ洞窟」やフランスの「ラスコー洞窟」などの洞窟画で、狩りの成功や獲物となる動物たちの繁殖を願う気持ちが込められています。いわば生活と密着している絵画でした。
スペイン北部カンブリア州にある「アルタミラ洞窟」には、旧石器時代の洞窟壁画が残されています。画題はイノシシや牛、馬といった動物が中心で、写実的な表現が特徴です。
シンプルかつ的確な描線表現は19世紀末に再評価され、現代アートにも多大な影響を与えたと言われます。

東洋・西洋美術の時代/古代 紀元前3500年~300年

古代エジプト美術

「古代エジプト美術」は、エジプトの第1王朝から紀元前332年まで続いた美術様式です。古代エジプトでは約2500年にわたり、ほぼ同じ絵画形式が続きました。

「古代エジプト美術」の特徴は、平面的であること。古代エジプト絵画の美意識においては「静」がもっとも尊ばれていました。そのため壁画に描かれた王はいずれも静止したポーズをとり、躍動しないことで王の神性を表現していました。
人物像は横向きの顔と正面を向いた胴体を持ち、足や胴体、頭部は一定の比率を守って描かれました。地位の高い人物は大きく描かれますが、遠近法は使用しません。そのため人間を集団で描く時は、上下左右に人物をずらし、少しずつ重ねて描く手法を取っていました。

メソポタミア美術

「メソポタミア美術」とは、紀元前3800年ごろから前539年まで栄えた美術様式です。チグリス川とユーフラテス川に囲まれた地域の美術様式の総称で、約3000年の間にシュメール美術、バビロニア美術、アッシリア美術、新バビロニア美術がおこりました。
「メソポタミア美術」の特徴は、戦闘や狩猟などを描いた勇壮な壁画です。新バビロニア美術の絵画様式はアケメネス朝ペルシアによって吸収され、こののちササン朝ペルシアへ伝わって西アジア美術の中核となり、東西美術に大きな影響を与えていきます。

古代ギリシャ美術

「古代ギリシャ美術」は、第一期となる「幾何学様式時代(紀元前1000年ごろ)」から始まり、第二期「アルカイック時代」、第三期「クラシック時代」を経て、第四期の「ヘレニズム時代(紀元前30年ごろまで)」と続きました。この時期に多数発見されているのが「壺絵」です。
古代ギリシャにおける「壺絵」は出土地が広範で画題も多彩で、制作時期も長期にわたります。これら古代ギリシャの絵画様式は、のちのルネサンス絵画で大きく花開きます。

古代ローマ美術

「古代ローマ美術」は、紀元前5世紀ごろから紀元500年ごろまで見られる様式です。広大なローマ帝国全域で発達し、エトルリア美術やギリシャ美術などの影響を大きく受けています。
「古代ローマ美術」の特徴は、富裕階級の自宅を飾った壁画です。
古代ローマの壁画では日常生活を巧みに切り取った風俗的な画題が多数見られます。ギリシャ絵画のスタイルを踏襲したもので、非常に技巧的。これは、ローマ人がギリシャ画家に壁画制作を依頼したためで古代ローマ・ギリシャの絵画様式は融合しあった形で展開していったのです。

西洋美術史の幕開け/中世 4世紀~14世紀

初期キリスト教美術

絵画の歴史において重要なポイントといえるのが、キリスト教美術です。
「初期キリスト教美術」は、紀元前2世紀末~6世紀ごろに発生した美術様式です。キリスト教が313年のミラノ勅令で認められて教会が建てられ、しだいに独自のスタイルが完成していきました。
「初期キリスト教絵画」の特徴は、動きのすくない身体表現です。

キリスト教の教会内には、文字の読めない信徒のためにモザイク壁画で聖書の物語が描かれていました。
モザイク壁画を含む初期キリスト教美術は素朴な描写を用い、人物像に動きはありません。単純化された描線は、分かりやすさに主軸を置いています。

キリスト教の信仰に基づくキリスト教美術は、ビザンチン美術(東方)、ロマネスク美術(西欧)、ゴシック美術の3つに大別され、特に有名な作品が多いのがゴシック美術の分野です。

先日惜しくも全焼したパリのノートルダム大聖堂にあったばら窓のステンドグラスも、典型的なゴシック美術。12世紀中頃〜15世紀頃までの芸術のひとつの動きであり、キリスト教の宗教観を華やかにそして装飾的に描くのが特徴です。これは、当時文字が読めなかった庶民に、キリスト教の教えを強く印象づける目的があったといわれています。

キリスト教と美術の関連は深く、18世紀後半までの西洋絵画の多くは、キリスト教を主題として扱った作品でした。
初期のキリスト教美術では、十字架が象徴的に描かれたり、イエス・キリストがモチーフである魚の形で描かれたりしました。また、祈る人や羊飼いといった人物が描かれ、絵画の絵解きをするには、キリスト教の知識が前提として必要とされます。

ビザンティン美術

「ビザンティン美術」は、4~9世紀に登場した東ローマ帝国の美術様式です。初期キリスト教美術にアジアやペルシアの美術が入り、「イコン」という特徴的な聖像画を生み出しました。
「ビザンティン美術」の特徴は、様式や図像の一貫性です。

東方教会で発達した「イコン」は、主にイエス、聖母子などが画題で、初期には「蜜ろう画(エンカウスティク)」が、のちにはテンペラで木板に描いたものが一般的です。
イコンはほぼ決まった人物が決まったポーズで描かれており、ビザンティン美術の様式美を明確に表現する絵画です。

ロマネスク美術

「ロマネスク美術」は、10~13世紀のヨーロッパで生まれた美術様式です。壁面が大きいロマネスク様式の教会内で、フレスコ絵画が多数描かれました。ほかにも筆写本が登場しました。
「ロマネスク美術」の特徴は手元で見る絵画として登場した「写本の挿絵」です。

「写本」とは、手で写された、キリスト教の挿絵入り聖書や祈祷書などです。多くは修道院の写本専門アトリエ「スクリプトリウム」で制作され、挿絵が入っています。挿絵は図式的な造形で、宗教的主題を画題としました。

ゴシック美術

「ゴシック美術」は、12~14世紀に中部ヨーロッパで起こった美術様式です。12世紀の半ばごろに北フランスを中心として広まり、イギリスやドイツ、イタリアなどで栄えました。
「ゴシック美術」の特徴は、絵画に写実と躍動感が登場したことです。後期ゴシック時代に活躍したジョット・ディ・ボンドーネは、人物の表情にリアルさをくわえ、背景で奥行きと明暗を表現しました。ジョットにより絵画に均衡と秩序が生まれたと言ってもよく、豊かな自然感情が現れるようになりました。

遠近法の確立・古典復興主義/ルネサンス 14世紀~16世紀

初期ルネサンス美術

「初期ルネサンス」とは、14~16世紀にヨーロッパ全域に興った革新的な美術様式です。
初期ルネサンス絵画では、遠近法の活用で人物や空間がより立体的に、より写実的に表現されるようになります。ごく自然な表情の人物が描かれて、絵画が現実味を帯びたのです。
「初期ルネサンス美術」の特徴はキリスト教以外のテーマを扱っていることです。当時はイタリアのメディチ家のような富裕層が出現して、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」などを依頼。優雅な感受性と優しい色彩を用いた絵画が描かれました。

ルネサンスは、イタリア語で「再生」を意味します。つまり芸術文化復興運動のことで、イタリアで興ったのち、ヨーロッパ中に広まっていきました。

イタリアのルネサンス最盛期は、15世紀末から16世紀初頭にかけてで、このおよそ30年間に数々の傑作があらわされました。
ルネサンス絵画の技法としてもっともよく知られているのが「一点透視図法」です。一般的には、ルネサンス期に初めて遠近法が確立されたといわれており、立体的な構図を2次元にうつしとることができるようになったのが、この頃といわれています。
この時代の代表作には、次のような作家と作品があります。

「受胎告知」フラ・アンジェリコ「受胎告知」フラ・アンジェリコ(1437-46年?)

「プリマヴェーラ」サンドロ・ボッティチェッリ「プリマヴェーラ」サンドロ・ボッティチェッリ(1485年頃)

「モナ・リザ」レオナルド・ダヴィンチ「モナ・リザ」レオナルド・ダヴィンチ(1503-1519年頃)

「ウルビーノのヴィーナス」ティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」ティツィアーノ(1538年)

「バベルの塔」ピーテル・ブリューゲル「バベルの塔」ピーテル・ブリューゲル(1563年)

「バベルの塔」は北方ルネサンス美術に分類されます。

盛期ルネサンス美術

「盛期ルネサンス」は、1490年代から1527年ごろまでの美術様式です。古代作品の研究と人体の解剖学的な研究、遠近法の確立など、絵画の世界に合理的かつ科学的なアプローチが導入されました。
「盛期ルネサンス美術」の特徴はレオナルド・ダ・ヴィンチにミケランジェロ、ラファエロの三大巨匠が活躍したこと。自然科学や絵画で天才的な才能を発揮したダ・ヴィンチは有名な「モナ・リザ」を制作。「モナ・リザ」にはスフマートという、ぼかし技法が用いられており、柔らかな遠近感が表現されています。
「モナ・リザ」とほぼ同時期に制作されたと言われるヴェネツィアの画家・ジョルジョーネの「テンペスタ」は、人物の登場しない絵画です。西洋美術史上初の「風景画」と言われます。

後期ルネサンス・マニエリスム美術

「後期ルネサンス・マニエリスム美術」は、16世紀中ごろから16世紀末にかけての美術様式です。宗教改革やスペインのカルロス5世によるローマ略奪など、不安定な時代の影響を色濃く受けています。
「マニエリスム美術」の特徴は、誇張された遠近法や短縮法、現実離れした空間表現などです。代表的な画家・エル・グレコの作品では、人体は非現実的なほどバランスがとれておらず、一部が大きく引き延ばされて画面に不均衡と不安をもたらしています。

北方ルネサンス美術
「北方ルネサンス美術」は、現在のベルギーやオランダ、ドイツで隆盛した美術様式です。それまでは単なる背景だった風景や風俗、人物を絵画ジャンルとして確立させました。
「北方ルネサンス美術」の特徴は、描写の緻密さと幻想的な傾向です。
ヤン・ファン・エイクによる「アルノルフィーニ夫妻の肖像」のような写実的かつ精密描写の作品のほか、ヒエロニムス・ボスの「快楽の園」のような不思議な作品も多数描かれました。

画家による工房の芸術作品/バロック美術 17世紀

バロックは、奇妙でグロテスクといった意味があり、「逸脱するもの」に芸術の価値を置く概念です。言葉の由来はゆがんだ真珠を意味する「barroco」であるという説や、ルネサンス期にイタリアの哲学者が説いたスコラ的三段論法のひとつの論証をさした「barocco」であるという説があります。

「バロック美術」は、17~18世紀にかけてヨーロッパで展開した美術様式です。ルネサンス時代の壮大さに現実的な描写を加えて、暗い画面に光を印象的に使ってドラマチックな画面を構成しました。イタリアのカラバッジオやルーベンス、スペインのベラスケス、オランダのレンブラントやフェルメールが代表的な画家です。
「バロック美術」の特徴は、肖像画や風景画などの製作数が飛躍的にふえたことです。これは、著名な画家の「工房」が膨大な依頼をこなすことで可能になりました。とくにフランドルの画家・ルーベンスは非常に大きな工房を持ち、家族を描いた肖像画などで人気を博し、それまでの宗教画や歴史画以外の新しい方向を切り開いていきました。

「ラス・メニーナス(女官たち)」ディエゴ・ベラスケス「ラス・メニーナス(女官たち)」ディエゴ・ベラスケス(1656年)

「エマオの晩餐」ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ「エマオの晩餐」ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1606年)

「悔い改めるマグダラのマリア」ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「悔い改めるマグダラのマリア」ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1635年頃)

「夜警」レンブラント・ファン・レイン「夜警」レンブラント・ファン・レイン(1642年)

「真珠の耳飾りの少女」ヨハネス・フェルメール「真珠の耳飾りの少女」ヨハネス・フェルメール(1665年?)

優雅で軽快な絵画表現/ロココ美術 18世紀

バロック美術に続く芸術様式がロココです。ロココはルイ15世のいたフランス宮廷から発信され、次第にヨーロッパ各地へ伝播しました。
ロココとは、貝殻で装飾されたrocaille(岩)に由来しています。貝殻の曲線や植物に着想を得た模様など、バロックと比較すると、より優美で繊細な様式とされますが、両者には共通点も多いため、ロココ美術をバロック美術の一部ととらえる場合もあります。

「ロココ美術」は、18世紀のフランスで生まれた美術様式です。ロココ以前の美術界ではイタリアが中心地でしたが、相次ぐ戦争などでイタリアの力が弱まり、フランスが変わって美術の地となりました。
「ロココ美術」の特徴は、優雅さと軽快さです。代表的な作品であるフラゴナールの「ブランコ」は、ブランコに乗る女性のスカートの中を男性がのぞきこもうとする明るい官能性を描いたものです。色恋沙汰や遊びを描いた「雅宴画」や、官能的な絵画も多く描かれました。

この時代は、絵画をサロンなどで不特定多数の人が絵を見るようになった時期で、美術評論や画商を職業にする人も登場してきました。

「シテール島の巡礼」アントワーヌ・ヴァトー「シテール島の巡礼」アントワーヌ・ヴァトー(1718-1719年頃)

「ポンパドゥール夫人の肖像」モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール「ポンパドゥール夫人の肖像」モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール(1755年)

「ぶらんこ」ジャン・オノレ・フラゴナール「ぶらんこ」ジャン・オノレ・フラゴナール(1767年頃)

多様な表現方法が登場/近代・19世紀

新古典主義

「新古典主義」は、18世紀中頃~19世紀初期ごろにローマを中心にヨーロッパ全土でおこった美術様式です。1789年のフランス革命などがヨーロッパでの古典再評価につながりました。
「新古典主義」の特徴は、デッサンの重視や緻密に計算された画面構成、色調です。軽快で華やかなロココ絵画から一転して、自然で写実的な描写が求められ、形式美や統一性が重要になってきました。
また、代表的な画家であるアングルはモデルの身体を幾何学的にとらえて解釈したところから、近代絵画のキュビズムなどにも大きな影響を残しました。

ロマン主義

「ロマン主義」は、19世紀初期から半ばごろにフランスで生まれた美術様式です。
合理主義や理性を重んじる古典主義と対をなす主義思想で、民族意識の高まりや恋愛賛美などを特徴としています。こうした主義思想は、美術や音楽、文芸などあらゆる芸術分野に広がっていました。

ロマンの語源は、ローマ帝国時代に話されていた口語「ロマンス語」からきているといわれています。ラテン語の文語と口語は次第に乖離していき、古典ラテン語は庶民には理解できない言語にまでなったといわれています。ゆえに、ロマン主義とは、古典ラテン語ではなくローマ帝国の庶民の文化に端を発するという意味合いで名づけられました。

新古典主義の統一的なアカデミック絵画からはなれ、それぞれの画家が描きたいものを自由に描く「ロマン主義」に行きつきました。
「ロマン主義」の特徴は、感情をかき立てるような表現で、現実に起きたことを臨場的に描いた作品が多いことです。代表的な作品は、フランス革命の民衆を描いたドラクロワの「民衆を導く自由の女神」などで、ドラマチックな画題が多数あります。

「民衆を導く自由の女神」ウジェーヌ・ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」ウジェーヌ・ドラクロワ(1830年)

「我が子を喰らうサトゥルヌス」フランシスコ・デ・ゴヤ
「我が子を喰らうサトゥルヌス」フランシスコ・デ・ゴヤ(1819-1823年)

写実主義・バルビゾン派

「写実主義」と「バルビゾン派」は、19世紀の半ばごろに始まった美術様式です。画家が日常生活の中から美を見出そうとしたもので、パリ郊外のバルビゾン村に住んで農民の姿を描いた画家たちのことをとくに「バルビゾン派」と言いました。

「写実主義・バルビゾン派」の特徴は、名もない庶民の生活を絵画にしたこと。ミレーの「落穂拾い」は農民の労働作業がテーマであり、写実主義の代表的な画家・クールベの「オルナンの埋葬」も、ごく一般の庶民の生活が画題です。
「オルナンの埋葬」は、クールベによってあえて「歴史画」として発表され、画題とジャンルの違いが論争を巻き起こしました。絵画が社会に対して疑問を投げかけることを体現していた作品でもありました。

「画家のアトリエ」ギュスターヴ・クールベ「画家のアトリエ」ギュスターヴ・クールベ(1854-55年)

「落穂拾い」ジャン=フランソワ・ミレー
「落穂拾い」ジャン=フランソワ・ミレー(1857年)

印象派

写実主義に異を唱えたのが、日本でも人気の高い印象主義の画家たちです。
印象主義は、時の移り変わりや水のように変わりやすい風景をキャンバスに落とし込むことに情熱を注ぎました。

「印象派」は、19世紀半ばごろから後半にかけて、フランスで生まれた美術様式です。1874年に、フランスで「第1回印象派展」が開催され、従来のサロン絵画とは違う価値観の作品が集まりました。そこに出されたモネの「印象・日の出」は、戸外の光の変化に着目した「印象派」代表作のひとつです。
「印象派」の特徴は「筆触分割」という技法です。色をパレット上で作るのではなく、画面上に原色を計算して配置し、遠くから見ると様々な色があわさって一色に見えるというもので、絵を見る角度によって色が変わって感じられます。

当初、フランスの画壇からは激しく非難されましたが、1870〜1880年頃にはそうした保守派の声を破って大きく躍進しました。
なお、印象派の画家がその技法を確立するにあたっては、輸入品の包み紙としてフランスに入ってきた日本の浮世絵が深く関わっています。

「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場」ピエール=オーギュスト・ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場」ピエール=オーギュスト・ルノワール(1876年)

「草上の昼食」エドゥアール・マネ「印象・日の出」クロード・モネ(1872年)

「踊りの花形/エトワール/舞台の踊り子」エドガー・ドガ「踊りの花形/エトワール/舞台の踊り子」エドガー・ドガ(1878年頃)

後期印象主義

「後期印象主義」は、19世紀の後半ごろにフランスに現れた絵画様式です。印象派から影響を受けた、セザンヌ・ゴッホ・ゴーギャンが代表的な画家です。これまでとは全く異なる絵画様式を目指し、現実に存在するものとしないものを融合させたり、繊細な感情表現を一枚の絵の中で追及したりしました。

「後期印象主義」のひとりセザンヌは、絵画の基本技法である遠近法を徹底的に分析し、対象となるべきものの形を構造的にとらえて表現。これがキュビズムにつながる道となりました。

象徴主義の絵画

フランスやベルギーで興り、ロシアまで伝播したのが象徴主義です。
シャルル・ボードレールが発表した詩「悪の華」に端を発し、観念的な概念であらわされる象徴主義の全盛期は、神秘性や人間の内面を描く絵画が多く描かれました。

「出現」ギュスターヴ・モロー「出現」ギュスターヴ・モロー(1876年)

「叫び」エドヴァルド・ムンク「叫び」エドヴァルド・ムンク(1893-1910年)

「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ」グスタフ・クリムト
「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ」グスタフ・クリムト(1907年)

「花と女性」オディロン・ルドン「花と女性」オディロン・ルドン(1890-95年)

社会と影響しあうアート/近代・20世紀

フォービズム

色彩表現の強烈な個性を見せつけたのが、批評家から「野獣(フォーヴ)」のようだと揶揄されたフォーヴィスムの画家たちです。
伝統に依存することのない色彩で、思うままの感情を表現する様式は多くの画家が賛同し、ひとつの大きな流れとなっていきました。

「フォービズム」は、1905年のサロン・ドートンヌに出品された作品群から始まった美術様式です。伝統に縛られない自由な色彩表現を求め、20世紀最初の絵画革命とも言われます。
「フォービズム」の特徴は、色彩で感情を表現したことです。フォービズムにおける色彩は自然や人物を再現するものではなく、心の動きを表現するツールでした。
非常に激しい色使い、筆づかいが特徴で、主要な画家としてはアンリ・マティスやジョルジュ・ルオー、モーリス・ド・ヴラマンク、ジョルジュ・ブラックなどがいます。

「赤のハーモニー」アンリ・マティス「赤のハーモニー」アンリ・マティス(1903年)

キュビズム

「キュビズム」は、20世紀初頭に登場した画法です。ひとつの対象をさまざまな角度から解釈して、それを一枚の絵にしたもので、もとは「後期印象派」の画家・セザンヌの考え方がヒントになっています。描くものの形をいったん円筒や球、円すいなどの単純な形分解し、それを画面上で再構成します。

「キュビズム」の特徴は、3次元のものを2次元に落とし込む方法を模索したこと。絵が立体の集合体に見えたということからキューブ(立体)=キュビズムと名付けられましたが、画面上で再構成される方法は多岐にわたります。
注目すべきは、2次元だけの画面構成で終わらなかったことです。画面に新聞などの物体を直接貼り付ける「コラージュ」の技法は、キュビズムで生まれました。

さまざまな角度から見た造形を、1つの画面に表現するキュビズムは、ピカソとブラックによって確立されました。
日本や中国でも影響を受けた画家がおり、近現代美術の大きな一つの転換点として知られています。

「アビニヨンの娘たち」パブロ・ピカソ「アビニヨンの娘たち」パブロ・ピカソ(1907年)

シュルレアリスム

詩人のアンドレ・ブルトンが提唱し、美術界にも急速に広まった運動がシュルレアリスム(超現実主義)です。
不条理な世界や現実ではあり得ない光景を、どこまでも写実的に描くのが特徴で、画家たちが実際に見た夢がインスピレーションになっている作品もあります。
ちなみにキュビズムの提唱者であるピカソも、このシュルレアリスムに傾倒した時代がありました。

「シュルレアリスム」は、1924年に巻き起こった美術様式です。文学や政治的な運動として始まり、すぐに映画や絵画、彫刻分野にも波及。のちにダンスや音楽、演劇、ファッションなど芸術のあらゆるジャンルに大きな影響を及ぼしました。
「シュルレアリスム」の特徴は、「夢」こそが自由へのあらゆる権利の象徴であると位置づけたこと。そして「夢」に現れる無意識の世界を絵画によってえがこうと試みます。
代表的な画家はサルバドール・ダリやジョルジョ・デ・キリコなどで、幻想的で不思議な絵は、不安や空虚さを感じさせます。

エコール・ド・パリ

「エコール・ド・パリ」は、主に1920年代のパリにあった絵画様式です。当時のパリにはキュビズムやフォービズムが盛んでしたが、特定の様式をとらずに抒情的な表現を模索していた画家のグループが「エコール・ド・パリ」と呼ばれました。
「エコール・ド・パリ」の特徴は、厳密な定義がないこと。1920年代にパリに集まっていた若い画家は、ロシア出身のシャガールやイタリアのモディリアニ、ポーランドのキスリング、日本からやってきた藤田嗣治など出身国も画風も多様でした。
あえて特定の絵画運動に加わらなかった「エコール・ド・パリ」の画家たちは、パリの自由な雰囲気の中でみずからの画風を確立していきました。

マニエリスムからベル・エポックまで記載しきれない多くの様式が西洋美術を豊かに

上記の西洋美術史は、あくまで代表的かつ日本でよく知られている美術の様式や主義をまとめたものです。ルネサンスにはマニエリスム運動が深く関わっており、シュルレアリスムの前にはアールヌーヴォが後にはアンディ・ウォーホルに代表されるポップアートがあります。こうした主義思想は時にそれぞれを批判し、そして反発しながらも人間の生み出す芸術を創り上げていきました。

日本美術の歴史

日本の美術そのものは、縄文時代からスタートしていますが、今回は絵画に焦点を絞って大まかに歴史をひもといていきます。
こちらも、画像はすべてWikipediaから引用しています。

飛鳥時代〜奈良時代:仏教絵画

日本に仏教がもたらされたのは6世紀で、教えの普及に大きな役割を果たしたのが絵画でした。
平安時代までは、仏教絵画をはじめとする中国の絵画を手本としていたとされています。残念ながら、その多くはすでに失われてしまっていますが、かつては法隆寺金堂にも壁画いが描かれていたといわれています。

平安時代:和様の成立

平安時代は、空海や最澄によって密教が伝えられました。それにしたがって、曼荼羅が多く描かれるようになり、飛鳥時代、奈良時代に引き続き中国や朝鮮半島の影響を色濃く受けて文化が発展していきました。

一方で、影響を受けるだけでなくその文化を取り込み、日本独自にアレンジした「和様」という概念が成り立った時代でもあります。和様とは日本風、和風といった意味で、漢字を基にしてひらがなが作られたのもこの時代です。
曼荼羅、仏画といった宗教に依るものだけでなく、源氏物語や鳥獣戯画など物語を楽しむための絵巻物が数多くあらわされました。
中国のテーマを描いたものを「唐絵」、日本のテーマを描いたものを「やまと絵」と区別するようになったのもこの時代以降のことです。

普賢菩薩普賢菩薩

源氏物語絵巻源氏物語絵巻(画像は「竹河二」)

鳥獣人物戯画鳥獣人物戯画(画像は甲巻、部分)

伴大納言絵詞伴大納言絵詞(画像は応天門炎上部分)

鎌倉時代:似顔絵「似絵」

平安時代後期から鎌倉時代にかけて、本人の特徴をそのまま写実的に描く似顔絵「似絵」が盛んに描かれるようになりました。
絵巻物や仏画も引き続きよく描かれています。

平安から鎌倉、南北朝への変遷は、時代の主役が貴族から武士へと移り変わる時期でもありました。美術においても、源氏物語のような貴族の世界ではなく、合戦の絵巻物があらわされるなど、傾向に変化がみられます。

伝・源頼朝像伝・源頼朝像

伝・平重盛像伝・平重盛像

室町時代:東山文化「水墨画」

室町時代は、茶道や書道、唐物の収集など趣味にふける8代将軍足利義政のおかげで文化が花開きました。義政の山荘(現銀閣寺)は東山にあったため、現在では義政を中心として興隆した文化を東山文化と称します。

絵画では、水墨画が流行し、狩野派、土佐派の祖である狩野正信、土佐光信が活躍しました。なお、能の観阿弥、世阿弥が活躍したのもこの時代です。

「天橋立図」雪舟「天橋立図」雪舟

「日親像」狩野正信「日親像」狩野正信

「桃井直詮像」土佐光信「桃井直詮像」土佐光信

桃山時代:狩野派による障壁画

桃山時代は、室町幕府が倒されてから、徳川家康が全国を統一するまでの期間をさします。期間にするとそれほど長くはありませんが、日本美術は大きく躍進し、華麗な障壁画や堅牢な城郭の建築がなされました。
狩野正信を祖とする狩野派が興隆し、あわせて千利休によって確立された茶の湯が時代の芸術として息づいていきました。

「洛中洛外図」狩野永徳「洛中洛外図」狩野永徳

「牡丹図襖」狩野山楽「牡丹図襖」狩野山楽

「松林図」長谷川等伯「松林図」長谷川等伯(画像は右隻)

江戸時代:浮世絵・琳派・文人画など

徳川幕府による治世であった江戸時代は、美術が庶民の娯楽として普及した時代です。それまで、絵画をはじめとする美術は貴族や武士といったある一定の身分以上が愛好するものでした。それが浮世絵の登場によって、一般の庶民にも手の届く娯楽になったのです。これは、版画の技術によって同一の絵画を大量に制作できるようになったことも大きく関係しています。

一方で、御用絵師と呼ばれる幕府や大名に召し抱えられた画家たちによる、贅沢で華やかな絵画も多くあらわされました。
さらに中国の文人(学問を修めて文章や芸術に通じている人)に影響を受けた文人画や、伊藤若冲、円山応挙に代表される写生画、また陰影法や透視図法を駆使した洋風画など、さまざまな技法や様式が江戸時代に育っていきました。

「風神雷神図」俵屋宗達「風神雷神図」俵屋宗達(寛永年間中頃)

「見返り美人図」菱川師宣「見返り美人図」菱川師宣

「夜色楼台図」与謝蕪村「夜色楼台図」与謝蕪村

「群鶏図」伊藤若冲「群鶏図」伊藤若冲(1757-1766年)

明治時代:お雇外国人によるグローバリズム

幕末に西洋で開催された万国博覧会に出展したことで、日本にも西洋の文化が流入しました。日本の工芸品や美術品が外貨を得る希少な品物であることを認める一方、ヨーロッパの文化や美術品をもてはやす風潮も強く、日本独自の技法や日本画がヨーロッパよりも劣っているとみなされる雰囲気もありました。

これを打破したのが、当時お雇外国人として日本を訪れていた外国人です。イタリア人画家のアントニオ・フォンタネージや米国の美術史研究家であったアーネスト・フェノロサ、彼をサポートしていた岡倉天心らの活躍により、日本の文化は保護され元の地位に押し上げられました。

「屈原」横山大観「屈原」横山大観(1898年)

「春畝」浅井忠「春畝」浅井忠(1888年)

「湖畔」黒田清輝「湖畔」黒田清輝(1897年)

大正時代:竹下夢二など

大正時代は、ヨーロッパで生まれたフォーヴィスムやキュビズムが若い画家たちの間でもてはやされた時代でした。
日露戦争の勝利によってもたらされた高揚感と、戦前昭和期に至るまでの国家権力による美術への弾圧、検閲などによる閉塞感の2つが拮抗する時代でもあります。

「名樹散椿図」速水御舟「名樹散椿図」速水御舟(1929年)

「水竹居」竹久夢二「水竹居」竹久夢二(1933年)

「童女図/麗子立像」岸田劉生「童女図/麗子立像」岸田劉生(1923年)

昭和:戦争画と日本画、洋画

昭和は、世界第二次大戦前と以降で大きく世の中の流れが変わりました。
戦前戦中は、戦意を高揚させるため、プロパガンダとして戦争画が多く描かれました。これは画家の意にそまない創作でもあり、戦争画を描いたほとんどの作家が苦悩し、自身の創作活動に悩む日々を送っていたとされます。

まとめ

海外の美術史も、日本の美術史も、ここには掲載しきれない数多の芸術様式があり、傑作があります。
全体的な傾向としては、国内外でコンピュータグラフィックなどのデジタル技術を駆使した作品が多く発表されるようになり、AIが絵を描くという研究や試みも続けられています。
今後、どのような作品が世に送り出され、語り継がれる名作となっていくのか楽しみですね。

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