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荒川豊蔵について

北大路魯山人も絶賛した製陶業のサラブレット

荒川豊蔵(あらかわ とよぞう 1894-1985年)は、岐阜県土岐郡(現多治見市)に生まれました。母方は多治見市の陶祖である加藤与左衛門景一の直系であり、いわば豊蔵は生まれた時から製陶業のサラブレット的存在でした。豊蔵は、神戸の親戚が営む陶器商を手伝ったり、名古屋や京都で焼き物のプロデュースや見立てをしたりと、10代のうちから活躍します。31歳で、当時働いていた東山窯を訪れた北大路魯山人と知り合い、魯山人が逗留している1年間の間に親交を深めました。魯山人が帰ったあとは、豊蔵が星岡窯(せいこうよう)に赴き、魯山人の収集した古陶磁の研究を手伝いました。本格的に作陶を始めたのは星岡窯を辞したあとで、長男と弟子の3人で試行錯誤しながら陶芸の道を邁進していきます。古窯から出土する陶片を参考にして、志野、瀬戸黒、黄瀬戸作りをおこないました。一年以上に及ぶ試行錯誤によって成果をあげ、鎌倉の魯山人を訪ねたところ、魯山人は豊蔵の作品を絶賛したといわれています。世間一般的に、豊蔵が魯山人に師事したとされているのは、こうした芸術家同士の結びつきによるものでしょう。
戦中は、生活の糧を得るために普段使いの食器を量産することもありましたが、戦後は再び芸術的な作品を目指しました。志野と瀬戸黒で重要無形文化財に指定、いわゆる人間国宝となっています。非常に長命であり、80歳を過ぎても信楽、備前、丹波、萩や唐津といった各窯で作陶にいそしんでいました。豊蔵の姿は、記録映画「志野」などでも見ることができます。

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