浅井忠の絵画買取

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浅井忠の買取相場

品名 買取相場
浅井忠 水彩画 風景画 浅間山遠望 鑑定シール付  180,000円
浅井忠 帰路 油彩  116,000円
浅井忠 油彩 りんご 静物 96,000円
浅井忠 湖畔 油彩 78,000円
浅井忠 水彩風景画 堰図 77,000円
浅井忠 油彩 海の見える集落 53,000円
浅井忠 房州白浜 鑑定シール 51,000円
浅井忠 郊外風景 額装4号 鑑定書 44,000円

浅井忠の買取実績

*掲載価格は実際の買取価格を保証するものではありません。
品物の状態や市場相場により価格が変動いたしますので予めご了承ください。

こんなお悩みございませんか?

  • 遺品の古い浅井忠を処分したい
  • 所有している浅井忠が幾らくらいで売れるかどうか査定してほしい
  • 亡母が集めていた浅井忠の買取相場が知りたい
  • コレクションしていた浅井忠を、まとめて売りたい

ご安心ください!
浅井忠買取の専門業者
「買取福助」が解決いたします!

思わぬ物がお宝に!思わぬ物がお宝に! あなたのガラクタ、だれかのお宝! あなたのガラクタ、だれかのお宝!

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浅井忠を高く売る方法|買取のポイントは?

浅井忠(あさいちゅう)の売却は、西洋絵画の知識が豊富で、 高い査定額を出せる鑑定士に依頼しましょう。

浅井忠作品の価値がわかる目利きに鑑定を依頼しましょう。

価値がわかる目利きに鑑定を依頼

浅井忠(あさいちゅう)は、日本の近代洋画の巨匠です。明治時代に情感あふれる風景画を数多く残しており、現在も高い価格で売買されています。

浅井忠の作品は旧家の整理や遺品整理などで見つかることがありますが、価値に気づかず安い鑑定額で処分してしまわれるケースも少なくありません。

浅井忠作品は高価な美術品ですから、近代の西洋絵画をよく知る目利きの鑑定士に依頼しましょう。

相見積もりを取って査定額を比較しましょう

箱や鑑定書など付属品と一緒に査定

浅井忠は生存当時から評価の高い画家でした。人気画家の作品には偽物が作られることも多いため、作品の真贋判定が重要になります。

鑑定士に正しく評価してもらうためには、作品と付属品をいっしょに出しましょう。付属品とは作家のサイン入り箱やオリジナルの額縁、鑑定書などです。

付属品も含めた査定で鑑定士が本物と認めれば、鑑定額はアップするでしょう。査定前にすべての付属品をそろえておくことが大事です。

評判の良い浅井忠の買取店数社で見積もりをとって査定額を比較することをオススメ

相見積もりを取って査定額を比較

事情により浅井忠の作品を売却するのなら、2~3社の買取店から見積もりを取りましょう。見積もり額を見ると、買取店によって金額がちがうことに気が付くはず。

絵画作品のような美術品は、買取額が決まっていませんから店によって買取価格がちがいます。

複数の見積もりを取れば、高価買取ができる店がどこなのか、すぐわかるでしょう。売り手が納得できる価格の買取業者に売却しましょう。

浅井忠買取業者の選び方

浅井忠作品の売却は、無料査定ができて、 多数の買取実績のある買取業者にまかせると安心です。

査定は無料のお店を選びましょう

査定は無料のお店を選びましょう

初めての売却でどんな買取業者を選んだらいいのかわからない場合は、その業者が無料査定をしているかどうか、調べるといいでしょう。

どれほど高額の鑑定であっても、一般的には鑑定料はかかりません。無料査定です。明治時代を代表するような有名洋画家・浅井忠の作品であってもお金はかからりません。

しかしごくまれに、査定後に「出張料」を請求する悪質な業者もいます。依頼前に、無料査定か確認しましょう。

浅井忠の買取実績が豊富な業者に依頼しましょう。

買取実績が豊富な業者に依頼

所有する浅井忠の絵画作品を売ろうと思うなら、買取業者の「買取実績」をチェックしましょう。絵画作品の買取価格は日々変動しています。

目利きの鑑定士は日ごろから美術市場をこまめに確認して、最新の評価額を出せるようにしています。ですから作品を正しく査定でき、多数の浅井忠作品を買取できるのです。

作品の買取実績は店のホームページを見ればわかります。買取価格が載っている場合もあるので、参考にしましょう。


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浅井忠について

浅井忠(あさい ちゅう 1856-1907年)は、教育者としてもその名を知られた洋画家です。浅井家の長男として江戸にある佐倉藩中屋敷で生まれた忠は、儒教や武芸を習うかたわらで、南画、花鳥画などの技法を学びました。この時、「槐庭(かいてい)」という号を授けられています。少年だった当時から、絵の才能には一目置かれていたと伝えられています。上京してからは、明治維新後に洋画家の長として後進を指導した国沢新九郎(くにさわ しんくろう)や、お雇い外国人として来日していたイタリア人画家アントニオ・ファンタネージらに学びました。ファンタネージの帰国を契機として、学校を退学。同時期に学校を去った学生らとともに「十一会」を結成し、仲間と切磋琢磨して創作活動をおこないました。大学を卒業後は、新聞画家として中国などへ派遣されました。1894年には日清戦争に従軍しています。復員後は、東京美術学校(現東京芸術大学)の教授、京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)の教授を務め、聖護院洋画研究所をひらくなど積極的に後進の指導にあたりました。
正岡子規に西洋画を教えたこともあり、弟子には昭和を代表する洋画家の一人である梅原龍三郎、夏目漱石の親友で本の装丁も手がけた津田青楓、大阪旧そごう心斎橋本店の内装を手がけた向井寛三郎らがいます。忠はまた、夏目漱石の小説「三四郎」に登場する深見画伯のモデルではないかと伝えられています。代表作である洋画「春畝」、「収穫」は重要文化財に指定されています。

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