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藤原啓について
北大路魯山人が認めたマルチタレントな備前焼の人間国宝
藤原啓(ふじわら けい 1899-1983年)は、岡山県和気郡(現備前市)出身の陶芸家です。1970年に重要無形文化財「備前焼」、いわゆる人間国宝に指定されました。勲四等旭日章も受章しています。少年時代の啓は、俳句や小説などで優れた才能を発揮していました。応募した短編が一等となった縁で博文館編集部に勤務、同時に早稲田大学英文科の聴講生としてロシア・ドイツ文学やシェークスピアを学んでいます。その後は川端洋画研究所でデッサンを学び、博文館から独立して作家となりますがすぐに行き詰まり、いっとき精神を病んでしまいます。備前陶芸の道に入ったのは40歳の時で、作家を諦めて帰郷した際に勧められたのがきっかけだったといわれています。一般的な陶芸家、陶磁器作りと比較するとかなり遅いスタートですが、金重陶陽や北大路魯山人らからも教えを受け、その生涯を備前の技術継承と自身の作陶にひたすら捧げました。
啓の作品は、金重陶陽が先頭に立って尽力した桃山古備前の技法に倣いながらも、窯の中で起きる自然な変化を重視した素朴な味わいが特徴です。北大路魯山人のはからいで個展を開き、その名が知れ渡りました。「生涯、陶芸家は焼物だけわかっていてもだめ。絵画も彫刻も音楽もわからなければ真の芸術家にはなれない」という啓の言葉は、若い頃からさまざまな芸術分野を極めたマルチな才能をうかがわせます。代表的な作品に「窯変旅枕花入」、「備前花入」などがあります。