犬養毅の掛軸買取

犬養木堂:「話せば分かる」と説いたアジアに知られる政治家

犬養木堂(いぬかい もくどう 1855-1932年)は政治家の犬養毅が用いた号です。

ほかに子遠という号を用いることもありました。

文部大臣、逓信大臣、内閣総理大臣、内務大臣を歴任した毅は、備中国賀陽群(現岡山県岡山市)に生まれました。
大きな庄屋でしたが、毅が2歳の時に父がコレラに倒れたため生活は苦しかったといわれています。

漢籍を学んだのち上京、慶應義塾や漢学塾の二松學舍で学びました。在学中には郵便報知新聞(現報知新聞)記者としても活動し、西南戦争に従軍記者として赴いています。

卒業後も数年記者として務めた後、大隈重信率いる立憲改進党に入党、第1回の衆議院議員総選挙で当選して議員になりました。

ちなみに、その後の選挙において42年のうち18回連続当選という記録を保持しており、これは最高齢議員記録や最高勤続年数をも記録している政治家の尾崎行雄に次ぐ回数です。

なお、神戸中華同文学校、横浜山手中華学校の名誉校長という肩書きももっていました。中国の辛亥革命で亡命していた孫文をかくまったこともあり、世界的なアジア主義の功労者として認められています。

毅が暗殺された五・一五事件は、暗殺者に対して「話せば分かる」と説いた逸話と併せて国内に衝撃を与えました。

幼い頃から漢籍の手ほどきを受けたためか、書や漢詩の優れた作品を残しており、書道家としての一面もあります。

新しい時代の政治家として日本の礎を築いた毅ですが、ひ孫には緒方貞子氏がおり、国際的に大きく貢献した人物としてよくその名が知られています。

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