石川啄木 買取

石川啄木について

借金に埋もれながらも創作魂を貫いた早世の詩人

石川啄木(いしかわ たくぼく 1886-1912年)は、岩手県南岩手郡(現盛岡市)の曹洞宗日照山常光寺住職を父にもち、長男として生まれました。生まれてまもなく、父の転任にともなって渋民村へ移住、学齢よりも早く渋民尋常小学校へ入学しました。その後、岩手県盛岡尋常中学校(現盛岡一高)で学びました。ここで、のちにアイヌ語研究の第一人者として知られるようになった金田一京助、作家であり音楽評論家でもある野村胡堂、啄木の未来の妻である堀合節子と出会っています。上級生であった胡堂やその学友の影響をうけて雑誌「明星」を読むようになり、創作活動に興味をもつようになりました。与謝野晶子の短歌に感銘をうけて短歌の会「白羊会」を結成、早くも自身の短歌を活字にあらわす活動を始めています。
卒業後に結婚、文芸誌の主幹や代用教員として働きますが困窮し、函館に移住しています。北海道では下宿に身を寄せながら臨時雇い、代用教員、新聞社の遊軍記者や校正係として働きました。しかし上司との折り合いの悪さや東京への憧れから北海道を離れ、上京します。東京では与謝野鉄幹、金田一京助らの援助を受けて小説を売り込みましたが、残念ながら生前に大成功することはありませんでした。結核で亡くなるまで、複数の知人に借金を申し込んでおり、借金の総額は一説には1,400万円ともいわれています。人柄に難はあるが才能に溢れている作家の代表格で、肉筆書の掛け軸などが残されています。

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