伊藤若冲の掛軸買取

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伊藤若冲の掛軸買取相場

伊藤若冲の掛軸買取価格

*掲載価格は実際の買取価格を保証するものではありません。
品物の状態や市場相場により価格が変動いたしますので予めご了承ください。

こんなお悩みございませんか?

  • 持っている伊藤 若冲の掛軸がいくらで売れるか値段や買取相場を知りたい
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伊藤若冲買取の専門業者
「買取福助」が解決いたします!

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伊藤若冲の作品を高く売る方法|買取のポイントは?

伊藤若冲を高く売るには、日本画の買取実績が多く
正確な鑑定ができる鑑定士に査定を依頼することです。

伊藤若冲作品の価値がわかる目利きに鑑定を依頼しましょう。

価値がわかる目利きに鑑定を依頼

伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)は、江戸時代中期の日本画家です。動植物の正確な描写で知られ、「異端の画家」と呼ばれるほど独創的な構図が特徴。

現在もたびたび個展が開かれており、とくに鶏や孔雀、魚など生き物を描いた作品、植物をモチーフにしたものが高額査定されます。

買取価格はうなぎのぼりで買取相場は高値で安定していますから、売却時は必ず江戸時代の日本画にくわしい鑑定士に査定を依頼しましょう。

作者の落款の入った箱など付属品と一緒に査定に出しましょう。

箱や鑑定書など付属品と一緒に査定

伊藤若冲のようなビッグネームの掛軸、日本画には、専用の収納箱がついていることが多いです。桐で作られた「共箱」というもので、作家の署名や押印、作品名が手書きされています。

共箱は古美術品の価値を高めるものですから、引っ越し時にも絶対に処分しないようにしましょう。箱の中には作品と一緒に鑑定書、保証書がついていることがあります。

箱も書類も大事な作品の付属品ですから、買取店の無料鑑定を受けるときは絵と一緒にすべて出しましょう。

評判の良い伊藤若冲の買取店数社で見積もりをとって査定額を比較しましょう

相見積もりを取って査定額を比較

伊藤若冲は買取価格が非常に高い画家のひとりです。売却前に必ず、複数の買取店に見積もりを依頼し、金額を比べてから売りましょう。買取業者には江戸時代の日本画を専門で扱っている店があり、顧客がいるために高額で作品を購入してくれることもあるからです。複数見積もりを依頼するのは手間も時間もかかりますが、お手元の作品の市場価値を知るためにも一度鑑定に出してみるのがいいでしょう。

伊藤若冲の買取業者の選び方

人気の日本画家、伊藤若冲を売るときは
骨董品を無料で鑑定でき、買取実績を公開している業者を探しましょう。

査定は無料のお店を選びましょう

査定は無料のお店を選びましょう

高額査定されることが多い伊藤若冲の作品。買取業者に査定を頼むときは、古美術品の無料鑑定・無料査定ができる業者を探しましょう。

買取店は品物を査定して「実際に買取できる査定額」を無料で提示します。金額が折り合わなければ持ち帰ることができますし、基本的には査定にお金はかかりません。

まれに査定後に高額な査定料や法外な費用を請求する悪質な業者もいますので、あらかじめ査定にかかる費用を確認しておきましょう。

伊藤若冲の買取実績が豊富な業者に依頼しましょう。

買取実績が豊富な業者に依頼

伊藤若冲は現在、知らない人がいないほどの日本画家です。残された作品数は多いのですが、贋作や模写も出回っており、査定時にはベテラン鑑定士の目利きが必要になります。

これまでに多数の若冲作品を買取している実績豊富な買取業者なら、鑑定眼もしっかりしているので安心して任せられるでしょう。

買取店の実績はホームページで探せます。過去の買取実績を画像やリストで公開している買取業者に売却の相談をしてみましょう。


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伊藤若冲について

奇想の画家と称される鮮やかな天才芸

伊藤若冲(いとう じゃくちゅう 1716-1800年)は、江戸時代中期の絵師です。曾我蕭白長沢芦雪らとともに「奇想の画家」という異名をもっています。若冲という号だけでなく、斗米庵、米斗翁、心遠館、錦街居士などを用いて活躍しました。京の青物問屋の長男として生まれた若冲は、23歳で4代目枡屋(伊藤)源左衛門を襲名しました。しかし商売に興味はなく、家業はそこそこに絵を描くことに没頭していたといわれています。40歳で家業を弟に譲ると自身は隠居を宣言、絵師としての活動を本格的にスタートさせました。とはいえ家業についての一切を放棄したわけではなく、錦市場の閉鎖危機に際しては市場を守るため奔走していたことが近年の研究で明らかになっています。
その作風は精緻でありながら大胆であり、米国人の収集家であるエツコ&ジョー・プライス・コレクションによって海外でも広く知られるようになりました。「隠元豆 玉蜀黍図(いんげんまめ とうもろこしず)」、「竹梅双鶴図(ちくばいそうかくず)」、「旭日鳳凰図」など精密に描きこまれた動植物を大胆に配置させたインパクトのある絵は生前から高く評価され、多くの襖絵や壁画をあらわしました。なお、若冲には数名の弟子がいたことが知られています。晩年に描かれた水墨画の中には、落款が若冲のものであっても自筆とは判断し難い作品が見られるため、若冲が工房を組織し、弟子とともに若冲ブランドを作り出していたのではないかという見方がされています。伊藤若冲など古い掛軸の買取は福助にお任せください。

伊藤若冲の作風

伊藤若冲の作風は、斬新な発想力と緻密な描写と超絶的な技巧です。鶏や孔雀など実際に生きている対象をじっくりと観察し、生き物を正確に描写しました。
技術的には若いころに狩野派を学び、のちに長崎経由で日本に入ってきた南画の影響を受けているといわれ、
実際に長崎へやってきていた清代の中国人画家沈 南蘋(しん なんびん)の影響がみられます。
豊かな色彩に大胆な画面構成、緻密な描写から「異能の画家」と呼ばれるほど、独自の世界を生み出した画家です。

伊藤若冲の略歴

略歴
1716年
(正徳6年)
京都・錦小路の青物問屋「桝屋」の長男に生まれる
1739年
(元文4年)
23歳で桝屋を継ぐ
20代後半から、狩野派で絵を学び始める
京都の寺院で1000本以上の中国絵を模写し、鳥や虫、植物の描写をきわめる
1755年
(宝暦5年)
40歳で弟に家督を譲り、隠居。画業に専念する
1758年
(宝暦8年)
代表作の一つである「動植綵絵」(御物)の制作開始
1759年
(宝暦9年)
鹿苑寺大書院 水墨障壁画の制作
1764年
(明和元年)
金刀比羅宮 奥書院上段の間に「花卉図」を、二の間に「山水図」、三の間に「蕪子花図」、
広間に「垂柳図」を制作
1776年
(安永5年)
石峰寺「五百羅漢石像」制作を始める
1790年
(寛政2年)
大阪、西福寺で代表作である金地濃彩襖絵「群鶏図」を制作
1791年
(寛政3年)
京都深草の石峰寺に隠棲。観音堂の天井に「花卉167面」の天井画を残す
1800年
(寛政12年)
京都、深草で没

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