狩野長信の買取

狩野長信:水墨画の技法を用いて屏風をあらわした狩野の末っ子

狩野長信(かのう ながのぶ 1577-1654年)は、狩野永徳、宗秀(そうしゅう)らを兄にもち、狩野松栄(しょうえい)の4男として生まれました。

絵画の手ほどきは、松栄、永徳から受けたと考えられていますが、両名の没後は次兄である宗秀、永徳の長男である甥の光信から教えを受けたといわれています。これは、長信がおじと甥の関係である光信よりも年下だったことに起因しています。

京都で徳川家康に拝謁して御用絵師となり、光信の没後は狩野派一門の長老的存在として君臨しました。
「勧学院客殿二之間花鳥図」、「玄宗皇帝・楊貴妃図屏風」などが長信の筆として伝えられています。

戦時中に消失した名古屋城の「名古屋城二之丸御殿玄関一之間障壁画『竹林群虎図』」も長信が手がけたもので、重要文化財に指定されています。また、「花下遊楽図屏風」が国宝に指定されています。この作品も、関東大震災によって一部が焼失しています。

「花下遊楽図屏風」は、八重桜が満開に咲いた様子を愛でる貴婦人たちの酒宴を描いたもので、貴婦人たちが美しい衣装を身にまとって踊るさまを水墨画の技法によって描いていることが大きな特徴です。

これは、図屏風といえば金碧(金銀の箔や岩絵の具を用いる装飾技法)を用いることが一般的だった当時に、技法的には古いとさえいえる水墨画の表現を用いたことが特に評価されています。
こうした代表的な図屏風のほか、掛け軸や書画といった作品も残されています。

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