狩野探幽の買取

狩野探幽:豪壮から瀟洒な画風に変化した狩野派絵師

狩野探幽(かのう たんゆう 1602-1674年)は、狩野永徳(えいとく)の次男である狩野孝信(たかのぶ)の子として京都に生まれました。
江戸の御用絵師となって以降、江戸城や二条城、名古屋城など各地で公儀の絵画を制作、寺院の障壁画もよく手がけました。

早熟の天才と称されることが多く、若い時には永徳を彷彿とさせる堂々とした画風が特徴です。しかし後年は水墨を主体とし、墨の濃淡や線の太さを使い分けた繊細で瀟洒な作風に変化していきます。

画題は山水、人物、花鳥、さまざまな題を描いています。大和絵の柔和な線を学び、漢画と大和絵の折衷的な画法による掛け軸も多く残しました。そのため、探幽は狩野派の分類である漢画ではなく「和画」の絵師として評価されることもあります。

狩野宗家は末弟である狩野安信(やすのぶ)に継がせ、自身は鍛冶橋狩野家を興しました。これは、御用絵師となった時、江戸城鍛冶橋門外に屋敷を得たことから名付けたものと思われます。
久隅守景(くすみ もりかげ)など探幽自身に弟子は多くいましたが、鍛冶橋狩野家から著名な狩野派絵師が出ることはほとんどなかったとされています。

代表作は、「義朝最期・頼朝先行供養図」、「二条城障壁画」、「名古屋城障壁画」などでこれらはいずれも重要文化財に指定されています。
また、徳川家光が浅間神社造営のために奉納した「三十六歌仙図額」は静岡県の指定文化財に、伊達政宗自筆の文が書かれた「伊達政宗甲冑像」は仙台市の指定文化財になっています。

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