木下利玄 買取

木下利玄について

白樺派を代表する歌人として知られた岡山出身の子爵

木下利玄(きのした りげん 1886-1925年)は、岡山県賀陽郡(現岡山市)に生まれた子爵、白樺派を代表する歌人です。作品は「銀」、「紅玉」、「一路」といった歌集のほか、短冊や扇に書かれた掛け軸が残されています。父は、足守藩最後の藩主である木下利恭(きのした としやす)の弟で、利玄は5歳の時にこの利恭が亡くなったことで養嗣子、つまり家督相続人となるべき養子となります。成長して学習院初等科に入学、武者小路実篤らの同級生として学びました。卒業後に東京帝国大学文科(現東京大学)に進学、在学中に短歌を学び始めます。13歳からの師匠は、国文学者として知られる佐佐木信綱(ささき のぶつな)でした。みるみるうちに頭角をあらわし、逸材と称された利玄は、実篤や志賀直哉と協力して文芸雑誌「白樺」を創刊、散文や短歌を発表しました。作風は感傷的かつ官能的であり、口語や俗語を用いた平易な表現は、万人に広く受け入れられました。一時は目白中学の国文講師として勤務しますが、歌に専念するために退職、自身の作風を「利玄調」として確立し、現在では入試問題として度々採用されています。
また、正岡子規の短歌論を掲げ、知的で分析的な創作をモットーとするアララギ派に異を唱える反アララギ派の合同誌「日光」にも参加しました。肺結核により39歳という若さで亡くなった利玄の墓所は、木下家の菩提寺である足守の大光寺にありますが、また台東区の谷中墓地にも分骨されています。

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