喜多川歌麿の浮世絵買取

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喜多川歌麿の浮世絵買取相場

品名 買取相場
喜多川歌麿 絵本笑上戸 上中下 3冊揃 古文書 250,000円
喜多川歌麿 春画本1冊 浮世絵 140,000円
喜多川歌麿 江戸両国川開之真図 三枚続 浮世絵  66,000円
喜多川歌麿 忠臣蔵六段目 本物 浮世絵 62,000円
喜多川歌麿 婦人手業拾二工 浮世絵 42,000円
喜多川歌麿 婦女人相十品 ポッピンを吹く女 浮世絵木版画 40,000円
喜多川歌麿 百千鳥 限定400部 アダチ版画研究所 40,000円
喜多川歌麿 山姥と金太郎 木版画 浮世絵 38,000円

喜多川歌麿の浮世絵買取実績

*掲載価格は実際の買取価格を保証するものではありません。
品物の状態や市場相場により価格が変動いたしますので予めご了承ください。

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喜多川歌麿について

喜多川歌麿は、美人画を描かせたら右に出るものはない、と現在も言われる浮世絵師です。
生年や出生地ははっきりわかっていませんが、1753年(宝暦3年)生まれという説が有力。18歳ごろに町絵師であった鳥山石燕(とりやませきえん)に入門した記録があり、狩野派を学んだことがわかっています。のち「北川豊章」と名乗り、画壇にデビュー。本格的なデビュー作は1775年(安永4年)の富本浄瑠璃正本「四十八手 恋所訳」(しじゅうはってこいのしょわけ)の下巻をかざる表紙絵でした。その後は役者絵を多数手がけ、画技を磨いていきます。
1781年(天明元年)に、江戸の大版元、蔦屋から出版された黄表紙「身貌大通神略縁起」(みなりだいつうじんりゃくえんぎ)の挿絵を担当。これが長く続く蔦屋重三郎との関係の始まりとなりました。

20代で多彩な画風に挑戦した歌麿は、30代になってから精緻で緻密な描写を試みるようになります。狂歌絵本「潮干のつと」(しおひのつと)は大田南畝の狂歌に歌麿が海辺の風景や貝を書き添えたもの。独自に培ってきた構図や画法を駆使して、狂歌の世界を鮮やかに描き出しました。
40代に入り、本格的に美人画制作を開始。従来は役者絵に使われたバストアップの「大首絵」を美人画に応用した「美人大首絵」で人気を博しました。とくに「歌麿の白」と呼ばれる透明感のある肌の色づかいや精緻に描いた着物、帯の柄などで艶美な美人絵を多数制作。名作「ポッピンを吹く女(婦人相学十躰)」、「婦女人相十品」、「歌撰恋之部」などが大ヒットし、美人絵の第一人者として広く知られるようになったのです。

美人画の絵師、喜多川歌麿にとって大きな打撃になったのが、老中・松平定信による「寛政の改革」でした。改革により浮世絵が風紀を乱すものとなり、特に美人画は、遊女をのぞく女性モデルの名を出すことが禁止されました。歌麿は名前のヒントになるものを絵の中に描きこんだり、句を添えたりして幕府に対抗。さらに1800年(寛政12年)、美人大首絵の制作が禁止されると、女性の半身像を描いたり3人組にしたりして美人画を出しつづけます。また蔦屋重三郎とともに「歌まくら」と言う春画を内密に発表。さまざまな方法で幕府と戦いましたが、ついに1804年(文化元年)の「太閤五妻洛東遊観之図」で入牢を命じられ、1806年(文化3年)、失意のうちに亡くなりました。
喜多川歌麿の浮世絵は女性のしぐさや表情、髪の生えぎわなど繊細で精緻な描写が特徴です。少ない色数で表現された明快な版画浮世絵は、いまも国内外で非常に高い評価を受けています。

喜多川歌麿の作風

喜多川歌麿の浮世絵は写実性が特徴です。20代のころ、浮世絵の技法や狩野派の技法などさまざまな画風に挑戦した結果、30代で精密、写実的な絵を描くようになり、狂歌絵本「画本虫撰」に見られるような画力を獲得しました。やがて当時の大版元である蔦屋重三郎に見いだされ、より繊細で華麗な画風を確立。当代随一と言われた美人画のほか、本の挿絵、風刺画、春画など幅広い分野で広く活躍しました。

喜多川歌麿の略歴

略歴
1775年
(安永4年)
画壇にデビュー。芝居の中村座、富本節正本「四十八手恋所訳」下巻の表紙絵が初作と言われる
1788年
(天明8年)
版元・蔦屋から出版した狂歌絵本「画本虫撰」で評価を得る
1790年ごろ
(寛政2年ごろ)
花鳥を緻密、繊細な筆で描いた「百千鳥狂歌合」を発表
1791~1792年
(寛政3~4年)
「婦人相学十躰(ふじんそうがくじったい)」「婦女人相十品( ふじょにんそうじっぽん )」を発表
1797年
(寛政9年)
蔦屋重三郎、没
1804年
(享和4年・文化元年)
豊臣秀吉の醍醐の花見を題材にした作品「太閤五妻洛東遊観之図」を発表。幕府を批判する風刺画として入牢、手鎖50日の処分を受ける
1804~1805年ごろ
(享和4~文化2年ごろ)
肉筆画 「更衣美人図」制作
1806年
(文化3年)

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