幸田露伴 買取

幸田露伴について

理想主義的作品で近代文学の方向性を定めた小説家

幸田露伴(こうだ ろはん 1867-1947年)は、文語体(書き言葉)による表現により「五重塔」、「運命」といった小説をあらわした作家です。また、和歌を詠んだ短冊も肉筆の書が残されています。蝸牛庵という号を用いることもありました。武蔵国江戸下谷(現東京都台東区)に生まれた露伴は、病弱な子であり、幼児の頃から何度も病気をして大きくなりました。東京府第一中学(現都立日比谷高校)では、のちに紅露時代を築く双璧、尾崎紅葉と同級生でしたが、露伴は家計の事情によって退学しています。続いて東京英学校(現青山学院大学)へ進学するもまた退学。図書館に通い詰める日々を送る中で、画家の淡島寒月にふれ、俳諧や漢学、漢籍に親しむようになります。10代半ばで郵便や通信を司る逓信省官立電信修技学校へ入学、卒業して電信技師となり北海道余市に赴任しています。しかし、現地にいる間に言文一致の文体で知られる小説家、坪内逍遥の文学にふれたことで職務を放棄、帰京して本格的に文学の道を歩み始めます。退学や退職といったある種突発的ともいえる行動は、露伴の人生でたびたび見受けられます。
写実主義の紅葉、理想主義の露伴と称されて紅露時代を確立した後も、京都帝国大学(現京都大学)に講師として招聘されたものの、1年足らずで大学に戻ってこなかったというエピソードがあります。とはいえ、これは単に仕事が窮屈だったというだけでなく、病気がちだったことで継続が難しかったのではないかとする見方もあります。

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