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正岡子規について

結核の病床から次世代の句を創作した俳人

正岡子規(まさおか しき 1867-1902年)は、俳人として活動し国語学研究家としても高名な人物です。俳句や短歌、小説、随筆、詩などさまざまなジャンルの文芸創作活動をおこなっていました。伊予国温泉郡(現愛媛県松山市)に生まれた子規は、松山藩士である父を早くに亡くし、幼いうちに家督を相続しました。少年時代から漢詩、書画に親しみ、政治にも興味を示していたといわれています。旧制松山中学(現松山東高)を中退し、受験勉強のために上京、東大予備門(現東京大学教養学部)に入学しました。松山の学生時代は、のちに海軍軍人となる秋山真之(あきやま さねゆき)、政治家となる勝田主計(しょうだ かずえ)らと親しく過ごし、東京では夏目漱石(なつめ そうせき)、学者の南方熊楠(みなかた くまぐす)らと同級生でした。大学を中退してから記者として働きますが、ごく短期間、従軍記者として赴いた戦地から戻る船の中で喀血。以降は療養生活を送りながら俳句を読み、短歌の革新につとめました。ちなみに、「子規」とはホトトギスのことです。
ホトトギスのくちばしが赤いのは、「鳴いて血を吐いたから」という言い伝えがあり、彼はこれを自分になぞらえて号としました。結核を患って病床にいた子規ですが、彼の設立した新しい短歌を創作する会「根岸短歌会」はのちの世代も受け継がれ、「アララギ派」の源流となっています。野球を好み、日本に野球が導入された最初期の選手の一人としてもよく知られています。結核でマウンドに立てなくなるまで、捕手として熱心に活動していたといわれています。

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