岡田半江の買取

岡田半江:多くの文化人と交流した大器晩成型の文人画家

岡田半江(おかた はんこう 1782-1846年)は、大阪の米屋に生まれた文人画家です。
自宅に出入りしている文人たちの影響を受け、書画を好むようになりました。

12歳の頃には、すでに「小米」という画号を用いて創作をしていたとされています。
両親を亡くしてからは米屋彦兵衛を襲名し、家業を継ぎつつ文人画家として活動しました。

文化人との交流も多く、のちに尊皇攘夷の思想に大きな影響を与えた「日本外史」の著者である頼山陽(らい さんよう)、書家で儒学者の篠崎小竹(しのざき しょうちく)、当時京都の二大蘭方医の一人として知られていた小石元瑞(こいし げんずい)、儒学者で大阪町奉行組与力の大塩平八郎(おおいし へいはちろう)らと親しくしていました。

また、別宅には文人画家である田能村竹田が足繁く通っていたといわれています。
親しくしていた平八郎が挙兵した「大塩平八郎の乱」で自宅や収集した骨董品が焼失するという悲劇に見舞われましたが、晩年まで旺盛な創作意欲をもち、詩文や書画掛軸などをあらわしました。

代表作「絹本著色春靄起鴉図(けんぽんちゃくしょくしゅんあいきあず)」は重要文化財に、「米点山水図(べいてんさんすいず)」は山形県の指定文化財になっています。

若い頃には画力が乏しいと評価されていた半江ですが、30代から50代以降にかけて筆遣いや配色が洗練されていきました。繊細かつ詩情豊かで自然な作風は、大塩平八郎の乱以降に移住した住吉浜時代に確立したものです。

フリーダイヤル LINE査定 無料査定・お問合せ
フリーダイヤル LINE査定 無料相談