尾崎紅葉の買取

尾崎紅葉:幸田露伴とともに紅露時代を築いた若き小説家

尾崎紅葉(おざき こうよう 1868-1903年)は、同じ武士を愛した尼が過去の後悔を語り合う小説「二人比丘尼色懺悔(ににんびくにいろざんげ)」で広く世間に認められました。

江戸芝中門前町(現東京都芝大門)に根付師の息子として生まれた紅葉は、寺子屋を経て府第二中学(現日比谷高校)に進学するもののほどなく退学。漢学や詩文、英語を学びながら大学予備門(現東京大学教養学部)を目指します。

母方の関係筋から学費の援助を受けて大学予備門に入学するものの、勉強ではなく詩作に没頭する日々を送ります。
ちなみに、紅葉はのちに小説家としてだけでなく俳人としてもその名を明治の文学界に刻みました。在学時代は縁山という号を用い、その後は半可通人、十千万堂、花紅治史と称していました。

在学時に、小説家で詩人の山田美妙(やまだ びみょう)、同じく小説家の石橋思案(いしばし しあん)らと硯友社(けんゆうしゃ)を結成し、雑誌「我楽多文庫」を発行しました。小説家となってからは「読売新聞」で「金色夜叉」を連載。大人気となりますが執筆の無理がたたって病気になり、未完のまま亡くなりました。

紅葉のあらわした小説の特徴は、日常的に用いられる話し言葉と近い口語体、つまり言文一致です。
小説「五重塔」などで知られる幸田露伴とともに時代を代表する小説家となり、二人で紅露時代と呼ばれる一時代を築きました。紅葉があらわした短冊、散文などの掛け軸が現代に伝わっています。

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