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坂高麗左衛門について

空位があるも現在13代まで続く萩焼窯元の名跡

坂高麗左衛門(さか こうらいざえもん)は、第13代まで連なる山口県萩市の萩焼窯元の名跡です。初代の坂高麗左衛門は、豊臣政権で大老を務めた毛利輝元(もうり てるもと)に連れてこられた朝鮮人陶工であったといわれています。同じく萩焼の窯元として代々受け継がれてきた三輪休雪の窯と同様、萩藩の御用窯としてつとめました。現在よく知られている第11代坂高麗左衛門は、帝国美術学校(現武蔵野美術大学)を卒業後、坂家の婿養子となって作陶をはじめます。1966年に日本伝統工芸展入選、以後は入選を重ねて確固たる地位を築きました。あらわされる陶磁器の特徴は、朝鮮の井戸茶碗をおもわせる造形、荒砂や礫を混ぜた「鬼萩手」といった豪快で力強いものです。山口県芸術文化振興奨励賞の受賞、山口県無形文化財の指定を受け、萩焼を代表する陶芸家の一人として活動を続けました。
第12代坂高麗左衛門は、東京芸術大学絵画科日本画専攻および同大学院絵画科研究室を修了後、第11代の長女との結婚によって萩焼の道に入りました。京都工業試験場窯業か当色研修生を終了後、作陶をスタートさせましたが、2004年に転落事故によって亡くなっています。この事故により、坂高麗左衛門は7年間空位となります。その後、12代目の義妹である11代目の4女が13代目を襲名しました。しかし第13代は2014年に亡くなります。現在も再び空位ではありますが、窯では第13代の長男の坂悠太が第14代を襲名するため、作陶に励んでいます。

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