山本五十六の買取

山本五十六:現在の警察や自衛隊の教育方針を定めた元帥海軍大将

山本五十六(やまもと いそろく 1884-1943年)は、元帥海軍大将まで上り詰めた海軍軍人です。

新潟県古志郡長岡本町(現長岡市)に6男として生まれ、当時の父の年齢から五十六と名づけられました。
10歳年上の甥の死によって両親らから武士・軍人になる期待をかけられた五十六は、海軍兵学校を優秀な成績で卒業します。

日本海海戦では、少尉候補生の立場で装甲巡洋艦「日進」に配属、左手の指2本を欠損し左大腿部重傷という大怪我を負いました。回復してからは、防護巡洋艦「須磨」、戦艦「鹿島」、海防艦「見島」などに勤務します。

大正の時代には米国駐在となり、その間にハーバード大学へ留学しました。この時に「ナショナルジオグラフィック」を購読しており、自宅にも大切に保管されていたといいます。

併せて、米国の油田や自動車・飛行機産業の視察を経て、砂糖と塩のプラント大量生産など技術発達の様子に大きな衝撃を受けていたといわれています。

太平洋戦争では、真珠湾攻撃の発案者の一人とされ、米国の圧倒的な力を知っていながらも日本を有利に導くべく戦いました。

部下を指導する際の、「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」という格言は、現在でも警察予備隊や自衛隊の教育方針の基礎として残っています。

戦死者の名前を書き留めた手帳を常に携帯し、その手帳に万葉集や歴代天皇の詩歌、自作の詩などをびっしり書いて供養の気持ちを忘れなかったと伝えられています。

五十六の書いた詩や言葉は掛け軸となり多く遺されています。

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