京都で見られる【国宝・重要文化財】の有名仏像15体

仏像

日本のみならず、海外からもたくさんの観光客が訪れる京都。
かつての都として長いあいだ栄えてきた京都には、国宝・重要文化財に指定されているお寺や仏像がたくさんあります。

とくに京都の仏像は種類が多く、仏さまのお名前が「釈迦如来」「阿弥陀仏」「観音菩薩」、形が「立像」「座像」「半跏思惟像」など、そういう意味かよくわからないこともあるでしょう。

そこで、今回は「京都で見たい有名&人気仏像」15体をご紹介します。
いずれも「国宝」「重要文化財」に指定されている貴重な仏像ばかり。

有名&人気仏像とともに、拝観できるお寺の情報もご紹介しますので、お気に入りの仏さまを探してみてはいかがでしょうか。

ぜひとも見たい!人気の国宝・重要文化財の仏像

歴史ある有名仏像の多い京都

京都は、奈良に続いて国宝・重要文化財の仏像の多い場所です。

貴重な仏像の多くは、「東寺(とうじ)」や「醍醐寺(だいごじ)」「三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)」などの、京都市内の人気観光スポットに安置されているので、京都市内でガイドマップ片手に有名なお寺を拝観していれば、国宝級の仏像を簡単に見ることができます。

京都では、どのお寺にも長い年月にわたって大切に守られてきた仏像があり、広く親しまれているのです。
ただし仏像の中には「秘仏(ひぶつ)」といって、宗教上の理由からごくまれにしか公開されない仏像もあります。

たとえば、六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)の「十一面観音立像」は、12年ごとの辰年にしか公開されない秘仏です。
たとえ多くの人が見たいと思っても、簡単に見ることができない。これも京都の仏像の魅力でしょう。

「国宝」と「重要文化財」の違いは?

ここで「国宝」と「重要文化財」の違いを、簡単にご説明しておきましょう。
実は、第二次世界大戦前の日本には「重要文化財」はありませんでした。すべてが「国宝」だったのです。

しかし戦後の1950年に「文化財保護法」が施行され、いったん「国宝」がなくなり、ぜんぶが「重要文化財」に変わりました。
そして「重要文化財」の中から、とくに貴重なものを選び抜いて「国宝」が決まりました。

ですから国宝は「重要文化財であり、なおかつ、国宝である」という位置にあります。

なお「文化財保護法」とは、国内の「国宝」「重要文化財」の保護・活用のために必要な経費の一部を公費で負担すると決まっており、日本の国全体で文化財を保護するための制度です。

それでは、京都にある貴重な「国宝」「重要文化財」の仏像15体を見ていきましょう。一度は見たい超有名&人気仏像ばかりです。

京都で見たい「国宝」の仏像10体

広隆寺「弥勒菩薩半跏思惟像」飛鳥時代

広隆寺の「弥勒菩薩半跏思惟像(みろくはんかしゆいぞう)」は、「日本で最も美しい仏像」のひとつに必ずあげられる有名な観音像です。

台座に座り、右足を左ももの上に乗せて足を組み、右膝の上に肘を乗せてほっそりした指先を頬にふれさせている姿は非常に優美。
この足を組む形を「半跏(はんか)」といい、微笑しながら人々を救う方法を考えている表情を「思惟(しゆい)」といいます。

モナリザを思わせるアルカイックスマイルは海外観光客にも人気で、日本の彫刻美術品の中では、国宝第一号に指定された仏像でもあります。

この仏像のある「広隆寺」は、京都最古のお寺です。創建は603年、まだ飛鳥時代の仏教が日本に伝来したばかりの初々しい息吹を今もとどめています。

寺の「奥の院」として「桂宮院(けいきゅういん)」という単層・檜皮葺(ひわだぶき)の八角形のお堂があり、こちらも国宝指定ですが、現在は修理のために拝観ができません。

神護寺「薬師如来立像」奈良末期~平安初期

神護寺の「薬師如来立像(やくしにょらいりつぞう)」は、重厚で神秘的、威厳のある仏像です。

薬師如来は病気の苦しみから救ってくれる仏として昔から人気があり、なかでも神護寺の薬師如来は、眼光鋭く口元はつよく結ばれて、がっしりした身体つきに太い腕などが力強い立像。

平安初期の仏像だと言われる一方で、奈良時代に作られた奈良県の「唐招提寺・伝薬師如来立像」と衣服の表現方法が似ていることから、奈良末期の仏像ではないかとも言われています。

こちらの仏像がある「神護寺(じんごじ)」は、781年の創建のお寺です。
鎌倉時代初期の名僧「文覚上人(もんがくしょうにん)」によって再興されたため、平安時代・鎌倉時代の仏像や書状が寺宝として残っています。

「伝源頼朝像(でん みなもとのよりともぞう)」など、一度は見たいおなじみの国宝もあり、見どころのおおいおすすめ観光スポットです。

教王護国寺(東寺)「不動明王像」平安時代

教王護国寺の「不動明王像(ふどうみょうおうぞう)」は、日本の明王像の中でも最古といわれる座像です。

総髪にした髪の毛を左肩にたらして、大きく目を見開いた憤怒の表情。
仏像の後ろにある「光背(こうはい)」には赤い色が残り、炎をもって煩悩を燃やし尽くそうとする感情豊かな仏さまです。多数ある有名な不動明王像の中でも、きびしく威厳があるといわれます。

この仏像のある「教王護国寺(きょうおうごこくじ)」は、通称の「東寺(とうじ)」のほうが有名でしょう。
796年建立のお寺で、京都市内でも有数の人気観光スポット。

不動明王像の安置されている建物「講堂」は重要文化財で、内部には「大日如来」を中心とした21体の貴重な仏像が、密教の教えをつたえる「曼荼羅(まんだら)」として立体的に配置されています。いわゆる「立体曼荼羅(りったいまんだら)」というものです。

また境内には55メートルの高さの「五重塔」があり、こちらも国宝。京都ではぜひ見たいお寺のひとつです。

醍醐寺「薬師如来坐像(箔薬師)」平安時代

醍醐寺の「薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)」は、「和様仏の最高峰」とも呼ばれる有名な仏像です。
かつてこの仏像には、無数の金箔が張られていました。病気や痛みのある部分に金箔をはると病が治るという信仰があったためで、「箔薬師」と呼ばれていたこともあります。

全体が堂々とした大ぶりの仏像で、カヤとみられる木材の「一木造(いちぼくづくり)」。
目鼻立ちも非常にしっかりしており、威厳のある仏像。仏像の光背には高さ約20センチほどの薬師如来が6体取り付けられており、本体と合わせて「七仏薬師(しちぶつやくし)」になります。

また「薬師如来座像」の両側に立っている脇侍仏(わきじぶつ)の「日光菩薩(にっこうぼさつ)」「月光菩薩(がっこうぼさつ)」も国宝です。

薬師如来坐像と同じ時期にセットで作られたと言われる立像で、作者も同じ「会理僧都(えりそうず)」だと推定されています。
薬師如来坐像よりもおだやかな顔つきで、脇侍仏ながら人気の高い仏像です。

これらの仏像のある「醍醐寺(だいごじ)」は桜の時期に見たいお寺です。
創建は874年と言われ、境内には951年に作られた国宝「五重塔」があります。

1994年には「古都京都の文化財」として「世界文化遺産」に登録されて、世界的にも有名なお寺です。

浄瑠璃寺(九体寺)「九体阿弥陀如来像」平安時代

浄瑠璃寺の「九体阿弥陀如来像(くたいあみだにょらいぞう)」は、平安時代後期の「浄土信仰(じょうどしんこう)」のための仏像です。中央にひときわ大きな阿弥陀像「中尊(ちゅうそん)」があり、その両脇に、顔も雰囲気も違う阿弥陀像が左右に4体ずつ並んでいます。

「九体仏」は阿弥陀如来が9通りの「極楽往生」の世界を象徴していると言われ、平安時代の終わりごろには京都に約30もの「九体阿弥陀」とお寺が作られました。しかし現在9体そろって残っているのは、この浄瑠璃寺だけ。

こちらのお寺は、「九体寺(くたいじ)」とも呼ばれます。国宝の阿弥陀如来像が9つも横一線に並び、しかも間近で見られるというのは、仏像の多い京都でもめずらしいスポット。

また国宝として「木造四天王立像(もくぞうしてんのうりゅうぞう)」もありますが、こちらは持国天・増長天の2体が本堂に安置され、広目天と多聞天は、それぞれ東京国立博物館・京都国立博物館に寄託されています。

三千院「阿弥陀三尊像」平安時代

三千院の「阿弥陀三尊像(あみださんそんぞう)」は、三体の仏が亡くなる人を迎えに来た様子を写した仏像です。

中央の「阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)」は台座に座り、両脇には「勢至菩薩(せいしぼさつ)」と「観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)」がいます。

脇侍仏2体は「跪坐(きざ)」もしくは「大和坐り(やまとすわり)」という形を取っており、膝を少し開いて、上半身は前かがみという珍しい形です。
中央の阿弥陀像との対比で三体の仏像には躍動感があり、いかにも人々を迎えにきたという雰囲気があります。

こちらの仏像がある「三千院(さんぜんいん)」は、京都市大原にある人気観光スポット。
広い境内のなかの「往生極楽院(おうじょうごくらくいん)」という建物の中に安置されており、なぜか阿弥陀如来像が建物よりも大きいため、天井を船底型にしてあることで有名です。

船底型の天井に天女や菩薩の姿が極彩色で描かれ、まさに極楽の世界。
なお「極楽往生院」の建物は重要文化財に指定されています。

清涼寺(嵯峨釈迦堂)「釈迦如来立像」平安時代(中国 北宋時代)

清涼寺の「釈迦如来立像(しゃかにょらいりつぞう)」は、北宋時代の中国の仏像を写して、日本へ持ち帰ったといわれる仏像です。

ガンダーラ様式の大きく渦を巻く形の頭髪や、身体に張り付くような衣、衣の裾は三段であるなど、非常にアジア的な姿が特徴。

同じような形式の釈迦如来像が鎌倉から江戸時代にかけて多数つくられ、「清涼寺式釈迦如来像」と呼ばれていました。こちらの仏像がモデルとなり、全国に広がったと推測されています。

珍しいのは、仏像の中に納入されていた絹の「五臓六腑」。
これは五色の絹でできた内臓で、形こそ本物の内臓と違いますが、当時すでに「内臓」の認識があったという証拠です。

この仏像のある「清涼寺」は別名を「嵯峨の釈迦堂」といい、建立は895年ごろのお寺です。
寺には国宝「阿弥陀三尊坐像(あみださんそんざぞう)」も伝わっており、脇侍仏の「観音菩薩」「勢至菩薩」の手が密教の印を結んでいるという珍しい仏像。3体とも国宝です。

六波羅蜜寺「十一面観音立像」平安時代

六波羅蜜寺の「十一面観音立像(じゅういちめんかんのんりつぞう)」は、平安時代中期の有名な僧「空也上人(くうやしょうにん)」が作ったと伝わる仏像です。

高さが258センチもあり、ヒノキの「一木造」。全体的に丸みがあり、たっぷりした量感のある身体つきで表情もおだやかな仏像です。
こちらの仏像は、12年に1回辰年にだけ公開される「秘仏(ひぶつ)」としても有名です。

ふだんは本堂の厨子の中におさめられ、厨子の扉はとじられています。
辰年には大勢のひとがこぞって拝観する、人気の高い仏像です。

「六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)」は空也上人が963年に開いたお寺で、本堂は南北朝時代に再建された重要文化財。
平安・鎌倉時代のすぐれた彫刻作品が多数残っており、後でご紹介する「空也上人像」や「平清盛公坐像」も重要文化財に指定されています。

蓮華王院(三十三間堂)「千手観音坐像」鎌倉時代

蓮華王院(三十三間堂)の「千手観音坐像(せんじゅかんのんざぞう)」は、京都の超人気観光スポット「三十三間堂」の千体ある観音立像の中心に座る仏像です。

鎌倉時代の後期に、有名仏師「湛慶(たんけい)」が84歳でなくなる2年前に作ったものと言われており、温和でみやびな表情が特徴的。ハリのある福々しい顔や、仏像全体の均衡の取れた姿が美しいとされます。

材質はヒノキで、「寄木造(よせぎづくり)」。「千手(せんじゅ)」とはいいますが、実際は42手で「千」をあらわします。
こちらの仏像のある「蓮華王院(れんげおういん)」は、本堂の名称「三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)」という名前で有名。

広々とした空間に高さ3メートルあまりもある巨大な「千手観音」が左右に合計千体もの観音立像を従えて座す姿は実に壮観です。
なお蓮華王院は後白河法皇(ごしらかわほうおう)が作った仏堂を本堂にしたもので、建物も国宝。京都市内でぜひとも見たい、おすすめスポットです。

蓮華王院(三十三間堂) 「風神・雷神像」

三十三間堂の「風神・雷神像(ふうじん・らいじんぞう)」は、「千手観音」を守るための仏像です。
お堂の中の「千手観音像」まえに、「観音二十八部衆」「風神・雷神」の合計30体の仏像が安置されています。

有名な「風神・雷神」はヒノキの「寄木造(よせぎづくり)」。ほぼ大人の等身大で、水晶を目に入れ込んだ「玉眼(ぎょくがん)」を持つ彩色像です。

「風神」はおなじみの風の入った袋を持ち、「雷神」は雷の太鼓を背負った姿で、生き生きした表情と躍動感あふれる身体は今にも動き出しそうな写実性があります。

「観音二十八部衆」をふくめて鎌倉彫刻の傑作とされ、造形には三十三間堂の再建に尽力した仏師「湛慶(たんけい)」が深くかかわっていると考えられます。

京都で見たい「重要文化財」の仏像5体

禅林寺(永観堂)「阿弥陀如来像」平安後期~鎌倉初期

禅林寺の「阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)」は、後ろを振り返る姿をかたどった珍しい立像です。

その姿から、別名を「みかえり阿弥陀」ともいい、平安時代後期の僧「永観(えいかん)」が阿弥陀仏のまわりを念仏を唱えて歩いていたとき、安置してあった阿弥陀仏がおりてきて先に歩き、肩越しに振り返って「永観、おそし」と言ったときの姿だそうです。

平安時代後期~鎌倉初期の仏像で、阿弥陀仏の引き締まった表情や衣に適度な装飾性がある点などから、京都の仏師の作であると考えられています。

こちらの仏像のある「禅林寺(ぜんりんじ)」は、「永観堂(えいかんどう)」の呼び名で有名なお寺です。
京都市内でも有名な紅葉の名所で、秋になると一気に観光客が集まる人気スポット。
ふだんは静かなお寺ですが、紅葉を見る観光客でいっぱいになります。

浄瑠璃寺「吉祥天女像」平安時代

浄瑠璃寺の「吉祥天女像(きっしょうてんにょぞう)」は、「一度は見たい、日本の秘仏5選」に選ばれたことのある美しい仏像です。

「吉祥天女」とは、豊かな暮らしと平和をもたらす幸福の女神。日本国内には多数の吉祥天女像がありますが、浄瑠璃寺の仏像は長い間「秘仏」として公開されなかったため、彩色や華麗な装身具が鮮やかに残る貴重なものです。

現在も秘仏ですが、人気があるため年に3回、お正月と春と秋に公開されています。
制作年代については1212年ごろと言われ、左右対称にふんわりと広がる衣装やリボン、腰ひもが安定感をもたらし、ただ美しいだけでなく写実性と威厳をあわせもつ仏像です。

こちらの仏像のある「浄瑠璃寺(じょうるりじ)」は、先にご紹介した国宝「九体阿弥陀仏」で有名で、本堂も国宝。
9体の阿弥陀仏を並べておくための本堂は「桁行(けたゆき)11間=約37.57メートル」と、横に長い独特の形をしています。

重要文化財の「吉祥天女像」、国宝の「九体阿弥陀仏堂」「本堂」と、見どころの多いお寺です。
なお、こちらは京都府内にありますが奈良との県境に近く、奈良からのアクセスも良好です。

六波羅蜜寺「空也上人立像」鎌倉時代

六波羅蜜寺の「空也上人立像(くうやしょうにんりつぞう)」は、口から6つの阿弥陀仏が飛び出している人物立像です。

これは上人が唱えている「南無阿弥陀仏」をあらわし、念仏を唱えると口からたちまち6体の阿弥陀仏が現れたという伝承に基づいています。作者は平安から鎌倉時代に活躍した仏師「運慶(うんけい)」の四男「康勝(けいしょう)」。

胸に金鼓をつけて右手に撞木(しゅもく 鐘つき棒のこと)、左手に鹿の杖を持って、道の辻などで念仏を唱える姿を写実的で、リアリズムを追求した超有名&人気の彫刻作品です。

こちらの立像のある「六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)」は、先に紹介した国宝「十一面観音像」のあるお寺。
お寺周辺は現在でこそ京都市の中心ですが、平安・鎌倉時代には「六道の辻(ろくどうのつじ)」と呼ばれた、現世とあの世の境目の土地。不思議な伝承があってもおかしくない雰囲気だったのです。

泉涌寺「楊貴妃観音像」鎌倉時代

泉涌寺の「楊貴妃観音像(ようきひかんのんぞう)」は、華やかな宝冠を持つ「聖観音(しょうかんのん)」の像です。
1228年ごろに僧「湛海(たんかい)」が中国より日本へ持ち帰った仏像で、あまりにも美しいために、中国の伝説的美人・楊貴妃がモデルだと言われ「楊貴妃観音」の名がつきました。

頭部には大きく豪華な「透かし彫りの宝冠」をいただき、彩色が多く残っているところも楊貴妃らしい華やかさです。
こちらの仏像のある「泉涌寺(せんにゅうじ)」は、1218年に建立されました。皇室とのかかわりが深いお寺で、四条天皇以来14代の天皇陵をはじめ、皇妃、親王陵墓など39の陵墓があります。

重要文化財である「仏殿」の天井には、江戸初期の有名人気絵師「狩野探幽(かのうたんゆう)」による龍がえがかれ、こちらも京都で見たい逸品のひとつです。

大報恩寺(千本釈迦堂)「木造六観音菩薩像」鎌倉時代

大報恩寺の「木造六観音菩薩像(もくぞうろくかんのんぼさつぞう)」は、非常に美しい6体の木製観音像です。
六観音とは「(しょう)」「千手(せんじゅ)」「馬頭(ばとう)」「十一面(じゅういちめん)」「准胝(じゅんてい)」「如意輪(にょいりん)」観音で、それぞれが地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の「六道(ろくどう)」を救う仏さまです。

6体すべての観音像がそろっているのは京都の仏像の中でもめずらしく、希少価値があります。
六観音は「准胝観音(じゅんていかんのん)」の銘によって、1224年に鎌倉時代の仏師「定慶(じょうけい)」が作ったものと分かっています。観音像の胎内には経巻が八巻おさめられていました。

こちらの仏像がある「大法恩寺(だいほうおんじ)」は、別名を「千本釈迦堂(せんぼんしゃかどう)」といいます。1227年の建立で、国宝の「本堂」は創建当時のまま。京都市内でも屈指の古い建築物です。

また人気仏師「快慶(かいけい)」による「十大弟子立像」も常時展示されており、六観音とともに見たい仏像です。

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