ブリュやゴーチェ、日本製までビスクドールのめくるめく世界

ドイツ製 ビスクドール 168 約59cm

愛らしい表情と気品ある佇まいが特徴のビスクドール。ケストナーやブリュ、ゴーチェといったドイツ、フランスのビスクドール工房が有名ですが、実は日本にもビスクドールを製作していた工房があるのをご存知ですか?

ここでは、ドイツとフランスの有名なビスクドール工房と、日本とビスクドールの関わりについてご紹介します。

ビスクドールとは

ビスクドール Sheer Elegance シーアエレガンス 約55cm002
ビスクドールは19世紀のヨーロッパで大流行した人形です。ビスクとは二度焼き(Biscuit ビスキュイ)という意味で、その名の通り磁器で作られています。

なかには、ヘッドと手足のみが陶器で作られ、ボディには別の素材が用いられているタイプもあります。

元々はファッションを展示するためのマネキンとして作られていましたが、ヨーロッパに裕福な富裕層が増えたことにより、子女たちの知育玩具として大人気となりました。

100年以上前のビスクドールはアンティークビスクと呼ばれ、世界中にコレクターがいます。特に人気が高いのはドイツやフランスの有名な工房で製作されたビスクドールで、当時のビスクドールの型を使って焼成されるリプロダクションも含めて多くの人に愛されています。

ドイツのビスクドール工房

ドイツでは、ビスクドールよりも前に陶器製の人形が製作されていた歴史があります。

当時は、陶器製(磁器製)であったためにポーセリン人形、チャイナドールなどという名称で呼ばれていました。素朴で子どもらしい表情が魅力です。

ケストナー

ケストナー(Kestner)は、1805年創業。ドイツで最も古いビスクドール工房といわれています。

ヘッドを作る技術のないフランスの人形工房にも、一時はヘッドを納品するほど確かな技術をもち、手のひらにのるほど小さなミニョネットのドールにもスリーピングアイ(横たえると目を閉じる仕掛け)を施すほど精緻な造形が見事です。

アーモンド・マルセル

アーモンドマルセル(Armand Marseille)は、ノッチという夫婦が妻の父の家の一角を借り、ビスクドールの小さな工房としたのが始まりです。

もっとも有名なモデルは、アーモンドマルセル370、アーモンドマルセル390で、特に390は米国で有名になり、長い間人気商品となりました。

米国へ輸出するために大量生産されたため、アンティークドールとして手に入れやすいモデルともいわれています。

なお、アーモンドマルセルでは、ヘッド(頭部)と手足の先を陶器で作り、ボディ(胴体)はレザーを用いていました。

シモン&ハルビック

シモン&ハルビック 白いドレスのビスクドール60cm
シモン&ハルビック(Simon&Halbig)も、ケストナーと同様、ビスクドールのヘッドを卸していました。シモン&ハルビックがオールビスクのドールを製作していた1890年代は、華やかな造形のフランス製ビスクドールが主流でした。

ですが、次第に素朴な表情のドイツ製人形の魅力が知られるようになり、米国やフランスでも顧客を獲得するに至りました。

スピーピングアイを開発し、特許を取得したメーカーとしても有名です。

フランスのビスクドール工房

ビスクドール DEPOSE ジュモー 11号
フランスのビスクドールは、華やかな表情が魅力です。フランスでのビスクドール製作が黄金期を迎えたのは1880年代で、当時作られたアンティークビスクの美しさは、今なお色褪せることはありません。

ジュモー

アンリドール ジュモー 緑ドレス58cm
ジュモー(Jumeau)は、1840年代に設立されました。1844年のパリ万国博覧会、1851年のロンドン万国博覧会で相次いでメダルを獲得するなど、設立当時からその評価は高いものでしたが、1870年代にベベ(赤ちゃん)という幼い少女の形をしたビスクドールを製造して、その地位を不動のものとします。

フランスのビスクドール黄金期を支えた主力メーカーのひとつです。

ゴーチェ

ゴーチェFG 67cm
ゴーチェ(GAULTIER)は、ボディこそ他社供給でしたが、1872年にヘッドの製造方法の特許を取得、1873年のパリ万博でメダル獲得と、確かな技術と高い人気を誇るビスクドールメーカーです。

他のフランスビスクドール工房よりも、眉のシェイプが細めという特徴があり、コレクターの間では比較的好き嫌いの分かれやすいドールとしても知られています。

ブリュ

ビスクドール BRU JNE ブリュジュン Sheer Elegance シーアエレガンス 約62cm
ブリュ(Bru)は1866年に設立、翌年に社名をブリュ・ジュンに改めました。幼い子どものドール、「ベベドール」としてブルベテ(Bebe Brevette)、サークル・ドット(Circle and Dot)、テトゥー(Teteur)、ブリュ・ジュン(Bru Jeune)などのモデルを世に送り出しました。

また、「ベベ・グルメ」と称するミルクやビスケットを食べさせてままごと遊びができるからくりつきのビスクドールを製作するなど、高い技術を駆使した人形づくりが有名です。

日本とビスクドールの関わり

サクラビスク 山大ママ―人形25cm
栗色や亜麻色などの髪の毛、ドレスという出で立ちでいかにもヨーロッパの令嬢といった雰囲気のビスクドールですが、実は玩具として定着した経緯には日本が深く関わっていました。

また、過去には日本でもビスクドールが製作されていたことがあります。

市松人形がヒントに?

マネキンの役割をしていたファッションドールは、どうして子女たちの遊ぶビスクドールとなったのでしょうか?

ファッションドールは大人のファッションの見本であったため、成人女性のボディを模して形作られていましたが、少女たちの遊ぶビスクドールは少女〜赤ちゃんに近い幼い体型で作られています。

この製作のヒントになったのが、1855年のパリ万博に出品された日本の市松人形でした。市松人形はもともと着せ替え人形として作られていて、ままごと遊びの相手や裁縫の練習台として日本の子どもたちに親しまれてきた歴史をもっています。

当時のヨーロッパは、新しい富裕層が急拡大し子女への知育玩具を求める親も急増していました。そうした背景から、ファッションドールの造形を少し変えて高級玩具としてのビスクドールとする挑戦が試みられました。

市松人形のように、遊びながら着せ替えをしたり擬似的な家事を行ったりできるビスクドールは教育的効果もあるとして求められたのです。

ビスクドールを与えられたブルジョワ層の少女たちは、ビスクドールの着せ替えや寝かしつけをしながら、ままごと遊びを等して当時の女性に必要な家事や子育てといった事柄を学んでいきました。

市松人形が、少女たちに愛されたビスクドール作りの大きなヒントとなったのです。

日本もビスクドールを製作していた?

1915年からたった7年間のみ流通したビスクドール、それがモリムラ(現ノリタケ)の手がけたモリムラドールです。モリムラドールは、第一次大戦下の米国市場から撤退せざるを得なかったドイツに代わり、日本が米国に輸出していました。

わずか7年間ではありますが、現存するドールはいずれも当時の日本の高い技術をうかがわせる人形ばかりです。

現在の日本には、アンティークビスクの型を用いて現代風に再解釈したビスクドールを焼成する人形作家が作品を生み出しています。

いずれもアンティークビスクに勝るとも劣らない風格と愛らしさを備えており、歴史に裏打ちされたビスクドールの魅力を今に伝えています。