宮本光庸のブロンズ少女裸婦像

東京都世田谷区で、宮本光庸のブロンズ少女裸婦像を買い取りました。

徳島県徳島待ちに生まれた彫刻家、それが「宮本光庸(みやもとこうよう)」です。
1913年に生まれた彼は、日本がまだ「大日本帝国」と呼ばれていたころ、帝国美術学校の彫刻科に席を置くことになります。(※なお、帝国美術学校は現在は「武蔵野美術大学」という名前になっています)
彼は建畑大夢(もともとは医学校で学んでいたが、途中から美術の道に映った人物。優しげな印象を抱かせる作品を得意とした。俳句などにも通じる)などに学びます。

かつて、日展は「文展」と呼ばれていました。その文展で23歳のときに賞を受け、「日展」と名前を変えた後も数多くの賞を受賞していくことになります。

地元を愛し、地元の芸術活動に大きく寄与した人物としても知られており、彫刻教室などを運営していました。また、短大で教鞭もとっていました。

宮本光庸は、2001年にこの世を去ります。しかし、今回、買わせていただいた宮本光庸のブロンズ少女裸婦像は、彼の現役時代の活躍を私たちに伝えます。その作風は、土台がしっかりしていて、具体的な美しさを持ち、しかし女性らしい優しさを持つとして評されましたが、今回の作品にも、その作風が生きています。

世田谷区彫刻