フェルメール贋作事件とは、オランダの画商・画家であるハン・ファン・メーヘレンによる一連の贋作事件です。ハン・ファン・メーヘレンは、20世紀の「稀代の詐欺師にして天才贋作者」であると伝えられています。特に画家のヨハネス・フェルメールの贋作を得意としていました。

事件は、1945年にナチス・ドイツの国家元帥であるヘルマン・ゲーリングの妻の居城から、
フェルメールの絵画『キリストと悔恨の女』が押収されたことが、きっかけとなります。売却ルートを追求したところ、ハン・ファン・メーヘレンが関わっていることがわかり、1945年に逮捕されました。

逮捕理由は、オランダの国家的財産に数えられていたフェルメールの絵画を、敵国であるナチスの幹部・ゲーリングや高官たちに、高価な金額で取引を行っていたからです。その後、メーヘレンは、ナチス協力者及び芸術品国外流失の罪により、投獄されました。

ところが、メーヘレンは、審理でナチス協力者の疑いを否定したのです。その証拠として、ドイツに売却した一連の絵画は、自らが描いた贋作であると告白し、さらに、長年にわたり「ピーテル・デ・ホーホ」と「フェルメール」の贋作を、制作してきたことを自白しました。

しかし、当初はメーヘレンの告白が誰にも受け入れられず、信じてもらえなかったため、彼は、獄中で「フェルメール風」の絵画を実際に描いて見せたのです。その時の作品が『寺院で教えを受ける幼いキリスト』(1946年)です。

X線写真などを使った最新の鑑定が行われた結果、彼の手による贋作であることが証明されました。その後一転して、メーヘレンは、ナチス・ドイツを騙した英雄と評されるようになり、絵画販売に関しては無罪、署名を偽造した罪では、軽い禁固1年の実刑判決を受けました。

贋作作品の中には、メーヘレンのオリジナル作品があります。フェルメールのタッチを真似て描き「フェルメールの新作」として資産家たちに売り込んだ贋作『エマオの食事』(1936年)です。最終的には、高価な金額でオランダのボイマンス美術館が買取しました。現在も専門家が騙された教訓として、一般公開されています。

メーヘレンは、将来を嘱望されていた画家であり、美術界を揺るがすほどの技量をもっていたのにも関わらず、なぜ贋作画家になってしまったのでしょうか。

メーヘレンは、1914年に美術アカデミーで学位を取得し、将来を嘱望されていましたが、1922年頃から、オランダに、前衛美術が勢力を得てくるようになりました。そのため、メーヘレンのロマン主義的リアリズム志向を周囲が嫌うようになり、冷淡な態度であしらわれるようになります。

そんな屈辱を受けたメーヘレンは、自分の実力を認めようとしないオランダの美術界に復讐をしようと、贋作画家への道を進む決意をします。

また、フェルメールの贋作が多いのは、当時、フェルメールに関しての研究が進んでおらず、一握りの専門家しかいなかったため、専門家を騙しやすかったからだと言われています。生涯にメーヘレンが、贋作で騙し取った額は、およそ70億円です。それだけ、専門家を騙すほどの技術力が、非常に高かったということにもなります。

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