中国 明時代(1368~1644年)景徳鎮窯の繁栄

独走する官窯・民窯多彩な技法が展開した青花と五彩

官窯・民窯で焼かれた青花

明時代の陶磁器生産は景徳鎮の官民両窯が競い合い、青花(染付)と五彩(色絵)を基本にして多彩な技法を駆使し、空前の繁栄をみせました。

洪武帝により開かれた官窯の前期は、永楽期(1403年~1424年)の甜白(てんぱく)と呼ばれる艶やかな純白色に象徴されるような白磁が主流で、青花はイスラム圏の金属器を模した製品がつくられ、もっぱら交易品として輸出されました。

青花が官窯の主要製品となるのは宣徳期(1426~1435年)になってからで、文様は元様式に比べて洗練され、高台内に製作年が記されるようになる。明中期の成化期(1465~1487年)は甜白磁の器肌と文様とが絶妙な調和をみせる官窯青花の美の極致を示しました。

後期の万暦(1573年~1620年)以降は濃密な文様構成で器種も豊富になるが、嘉靖期(1522~1566年)からとくに顕著になっていった五彩に主役の座を譲ることになります。

明前期の民窯の動向ははっきりしないが、元様式を踏襲した青花は、中期にかけて官窯には見ない伸びやかな作風を示すようになる。宣徳ころの渦巻き状の雲文に楼閣や龍を配した雲堂手の香炉や火入は、日本の茶碗に転用して珍重されました。

明末の民窯青花の主流はおもにヨーロッパに輸出された芙蓉手の皿類と、日本からの注文による古染付と亀甲や丸文つなぎの幾何学文様を持つ上質青花の祥瑞の茶陶でした。

中期以降は五彩が主流

成化期官窯の代表格でもある豆彩は五彩の一種で、文様の輪郭を描いた青花に、赤・緑・黄・紫の釉彩を施すもの。作品は可憐な小品が多く残っています。

その後、黄釉地に緑や赤の色釉を塗る黄地緑彩・黄地紅彩などの手法が考案され、嘉靖期にはそれらと上絵(色絵)を併用して精緻華麗な五彩がつくられ、官窯五彩の円熟期をむかえました。万暦期には青花地に濃密な文様を極彩色で上絵付けした赤絵の文房具・調度品類が多くつくられました。

いっぽう、民窯五彩は中期に青花を下地にしない赤絵(古赤絵)が作られたが、嘉靖期以降は濃厚鮮明な呉須赤絵、とりわけ金箔で吉祥文を示した絢爛豪華な赤絵金襴手や萌黄地金襴手などがさかんに焼かれました。それらは日本の古伊万里錦手にも影響を与えています。

景徳鎮の官窯と民窯

景徳鎮官窯

前期1368~1435年

・白磁(甜白)
・紅釉
・藍釉
・青花
・釉裏紅

中期1465~1521年

・青花(甜白磁)
・五彩(豆彩)
・黄地緑彩
・黄地紅彩

後期1522~1644年

・五彩(万暦赤絵)
・黄地緑彩
・黄地紅彩
・青花

景徳鎮民窯

前期1368~1435年

・青花

中期1465~1521年

・青花(雲堂手)
・五彩(古赤絵)

後期1522~1644年

・五彩(呉須赤絵、金襴手)
・青花(古染付、芙蓉手、祥瑞)
・法花

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