中国 清時代(1644~1912年)景徳鎮官窯の復興

伝統と新技術 自由で緻密な絵画的表現を追求した粉彩

清朝初期の民窯

明末清初の動乱期にも、景徳鎮民窯は活動していた。清朝初期の1656年、順治帝が発した遷界令という一種の鎖国策を取るまでは、日本に南京赤絵・南京染付の製品が舶載されている。南京赤絵は花鳥山水を細密に描いた皿・鉢・火入などの小品が主で、茶道具として喜ばれた。

康熙年間(1662~1722年)の民窯は、明末期の作風を発展させながらも独自の様式美を生んだ。青花では余白を十分にとる文様構成で洗練さを加え、五彩では器表の一部を窓のように仕切ってそのなかに絵を描いた窓絵や、主文様の周囲を亀甲文・丸文・七宝繫文などで隙間なく埋め尽くす手法、また一幅の絵画風に表現する手法など、独特の構図により緻密で整然とした美をつくりだした。

官窯の再建

1681年、清朝官窯が開窯する。明官窯停止以来の長い空白を埋めようと、民窯の熟練陶工を招くなどして技術を導入し、督造官という作陶の指導にあたる官吏を置いた。

とくに雍正官窯における督造官の唐英の活躍ぶりにはめざましいものがあったという。その結果、康熙・雍正(1723~35年)・乾隆(1736~95年)年間を通じて、緻密な技巧と高い品格をもつ端麗な磁器を生み出す官窯が成立した。

粉彩と古月軒という技法

官窯で際立つ技法は、紅釉・桃花紅などの色釉磁や明官窯でも焼かれた白磁胎に三彩釉を施す素三彩であるが、きわめつけは粉彩とその系列の古月軒(琺瑯彩)である。

康熙後半に創始された粉彩は、白磁の上に白い琺瑯質の釉を施し、それをキャンバスとして多彩に色絵を描く技法。普通の色絵よりもはるかに自由に緻密な色彩表現が可能なため、絵画的文様を描くには最適であった。

粉彩の一種の古月軒は雍正官窯に象徴的な技法で、清朝陶磁が到達した最高峰と言える。純白の磁肌に花鳥山水を緻密に描き、詩句をそえて落款を押すというように一幅の絵画を表現した。まさに繊麗巧緻で雅趣に富む珠玉のような絵付磁器である。

古月軒の名称の由来は諸説あってはっきりしないが、皿・鉢・花瓶などの小品が多くみられ、裏面に名款が記されている。雍正官窯で再びよみがえった素三彩の一種、イエローホーソンは梅樹文以外の地を黄色で塗りつぶしたもので、日本でも大作が知られている。

清朝で開発された釉薬

牛血紅

・黒ずんだ赤色を示す銅釉

桃花紅

・紅色のなかに緑色が混じる銅釉

茶葉末

・黄褐色混じりんい青または赤をおびた緑色を示す鉄釉

烏金釉

・紫色を帯びた艶のある黒色で鉄を主体にコバルト・マンガンなどを加えた釉。
金彩を施すことが多い。

天藍釉

・やや失透した淡泊な青を示す釉でコバルトを含むと思われる

臙脂紅

・非常に美麗な紅色を示す粉彩釉

炉鈞釉

・白と空色が混じったような失透性の釉

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