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乃木希典について

ドイツ滞在中に放蕩生活をあらため、軍のトップへ上り詰めた軍人

乃木希典(のぎ まれすけ 1849-1912年)は武士であり軍人で、乃木将軍や乃木大将と呼ばれることもあります。
また、源希典という署名を用いることもありました。

希典は病弱で、幼少期は近所の子どもからは泣き虫とよくからわかれていました。
しかし、長府藩の藩命によりフランス式訓練法を学び、以後、軍人として出世していきます。

軍人となった希典は、放蕩の限りを尽くすようになります。
その豪遊ぶりはすさまじく、一説には祝言当日にも料理茶屋へ入り浸って遅刻するほどだったといわれています。

しかし、陸軍の様式を学ぶために飛んだドイツで心を入れ替え、軍人の規範となるような人物像へと変わります。
帰国後、賑やかな宴会の席には出席せず、どんな時も乱れのない軍服を着用するなど、質素にそして謹厳に生活態度を正していきました。ちなみにドイツ留学中には、森林太郎(森鴎外)と知り合い、友人になっています。

日清戦争では旅順要塞を1日で陥落させ、なおかつ敵方であるロシアの敵将に紳士的な態度で接したことが有名になりました。
これは世界的に知られる事実で、ロシア国内でも、希典を英雄的に描く場合があるといわれています。この功績によって中将に昇進、華族となって男爵の称号を得ました。

その後、明治天皇の勅命によって軍事参議官と学習院のトップを兼任、後進の指導にあたります。明治天皇への忠誠心は厚く、大葬の後に妻と共に自刃しました。殉死の速報は当時大きく取り上げられ、国内は悲しみに包まれたといわれています。ちなみに、東京の乃木坂は希典からとられた地名です。

紆余曲折がありながら、武士から軍人へと移り変わる明治の世を忠義心で戦い抜いた希典の書いた書は掛け軸となっており、現在も高い人気があります。

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