澤田政廣の仏像買取なら東京大田区の福助にご依頼ください。
鑑定歴20年以上の確かな実績で相場を熟知した鑑定士が、お客様の大切な澤田政廣作品の価値を査定いたします。福助では、澤田政廣の高価買取・査定が可能です。作家や価値の分からない仏像の査定や、不要な骨董品の処分・売却をお考えなら、無料の出張・宅配買取にも対応しておりますのでお気軽にお問い合わせください。
澤田政廣の仏像買取相場
品名 | 買取相場 |
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澤田政廣 仏像 木彫彩色聖観音菩薩 | 180,000~300,000円 |
澤田政廣作 仏像 銀製大黒天 | 120,000~200,000円 |
澤田政廣 仏像 木彫彩色日蓮上人坐像 | 72,000~120,000円 |
澤田政廣 仏像 観音菩薩像 ブロンズ 高さ約77cm | 67,000~115,000円 |
澤田政廣 仏像 木彫彩色不動明王像 | 35,000~66,000円 |
澤田政廣作 仏像 木彫 不動三尊像 | 21,000~36,000円 |
澤田政廣 仏像 薬師佛 | 110,000~190,000円 |
澤田政廣 仏像 ブロンズ 金色観音像 | 18,000~30,000円 |
澤田政廣の仏像買取価格
*掲載価格は実際の買取価格を保証するものではありません。
品物の状態や市場相場により価格が変動いたしますので予めご了承ください。
こんなお悩みございませんか?
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澤田政廣の仏像を高く売る方法|買取のポイントは?
澤田政廣の仏像売却では、仏像・仏教美術品に詳しい目利き鑑定士に買取査定を依頼しましょう。
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澤田政廣の価値がわかる目利きに鑑定を依頼しましょう
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作者の署名・落款の入っていた箱など付属品と一緒に査定に出しましょう
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相見積もりを取って査定額を比較しましょう
澤田政廣の仏像買取業者の選び方
澤田政廣作品の買取業者には、無料査定・無料鑑定を実施している買取実績の多い店を選びましょう。
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査定は無料のお店を選びましょう
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澤田政廣の買取実績が豊富な業者に依頼しましょう。
3つの買取方法が選べます
澤田政廣の仏像買取について
澤田 政廣(さわだ せいこう)は熱海生まれの芸術家です。19歳で名彫刻家として有名な高村光雲の弟子、山本瑞雲のもとに入門します。山本瑞雲は澤田政廣の遠縁にあたり、大正時代の名彫刻家、高村光雲の高弟でもありました。大正10年、27歳の時に帝展に出品した「人魚」で初入選。その後も次々と精力的に作品を作り、帝展には第3回、4回、5回と連続3回も出品、大正13年、30歳の時の第5回帝展にて「銀河の夢」が特選になります。さらに東京美術学校(現・東京芸術大学)の彫刻科別科で、「東洋のロダン」と呼ばれた朝倉文夫に師事。昭和2年からは3年連続で帝展の特選を受賞し、日本を代表する木彫り彫刻家となりました。
澤田 政廣の作風は、のびのびとしたおおらかさが特徴です。仏像や、古代神話から題材をとった神像は、ほとんどが巨大な木からノミで彫りだしたもの。ノミの刃跡が巧みに残されており、躍動感とともに一種の風韻を感じさせます。仏像制作では、東本願寺・難波別院に「蓮如上人像」をおさめ、昭和54年、85歳の時に身延山・久遠寺祖師堂に「日蓮上人像」を制作。ほか永平寺の持仏として「普賢菩薩」「文珠菩薩」を作っています。澤田 政廣の才能は仏像にとどまらず、さまざまな芸術分野において93歳で亡くなるまで生命力にあふれ、た作品を作り続けました。古美術市場では、とくに一点物の木彫り作品に熱心なファンが多く、高価買取になる超人気作家のひとりです。
澤田政廣の作風や技法
澤田政廣は大正から昭和時代の彫刻界で木彫り作品で新風を吹き込みました。当時の彫刻はブロンズ彫刻が主流。そこへ、巨木から人物像や神像、仏像を彫りだす澤田政廣の技法は大旋風を巻き起こしたのです。あえてノミの跡を残したおおらかな作風が特徴で、古代の神々や人魚など架空の存在を詩的に表現。どのモチーフであっても生命力にあふれ、抒情的な表情を持っています。とくに仏像については伝統的な古典美と斬新な世界観が両立されており、人の心を打つ傑作が多数あります。仏像の代表作は高野山にある金剛峯寺の金堂金剛王菩薩。ほかに吉祥天や大聖不動明王もあります。
澤田政廣の略歴
年 | 略歴 |
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明治27年 | 静岡県熱海町に生まれる。生家は製材業を営む |
大正2年 | 韮山中学校中退。上京し、木彫家の山本瑞雲宅の内弟子になる |
大正10年 | 第3回帝展「人魚」初入選 |
大正11年 | 第4回帝展「沃土」出品 |
大正13年 | 第5回帝展「銀河の夢」特選。東京美術学校彫刻別科入学 |
大正15年 | 第7回帝展「影」出品。東京美術学校彫刻別科卒業 |
昭和2年 | 第8回帝展「白日の夢」出品 |
昭和3年 | 第9回帝展「七姫」特選。帝展無鑑査に推挙される |
昭和4年 | 第10回帝展「白鳳」特選 |
昭和14年 | 第3回新文展「聖観世音菩薩」出品 |
昭和26年 | 第7回日展「五木の精」文部大臣賞 |
昭和28年 | 前年の日展出品作「三華」で日本芸術院賞受賞 |
昭和43年 | 高野山 金剛峯寺金堂 金剛王菩薩完成 |
昭和54年 | 文化勲章受章 |
昭和63年 | 93歳で亡くなる |