目次
東洲斎写楽の浮世絵買取相場
品名 | 買取相場 |
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東洲斎写楽 役者絵 版画 六図揃い | 210,000円 |
東洲斎写楽 三世大谷鬼次の奴江戸兵衛 大判 浮世絵 | 100,000円 |
東洲斎写楽 中山富三郎の宮城野 浮世絵 | 70,000円 |
東洲斎写楽 写楽大首役者絵集 手摺浮世絵木版画全28枚揃 高見澤研究所刊 | 63,000円 |
東洲斎写楽 木版画 浮世絵 ベストセレクション20 アダチ版画研究所 | 45,000円 |
東洲斎写楽 大江戸木版社 手摺浮世絵木版画 写楽名作撰集 26枚揃い | 40,000円 |
東洲斎写楽 アダチ版画研究所 全集 第四集 木版画 | 36,000円 |
東洲斎写楽 40枚揃い 吉田暎二 悠々洞出版 | 49,000円 |
東洲斎写楽の浮世絵買取価格
*掲載価格は実際の買取価格を保証するものではありません。
品物の状態や市場相場により価格が変動いたしますので予めご了承ください。
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東洲斎写楽について
東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく)は江戸時代の浮世絵師。1794年(寛政6年)に浮世絵の大版元、蔦屋重三郎の店から役者絵を発表し、突然デビューした異色の絵師です。デビュー後も本名や出生地を一切明かさず、約10カ月のうちに145点余の錦絵浮世絵を発表した後、ぴたりと消息を絶ったことから「謎の絵師」とも呼ばれています。写楽の正体を謎のままにしておいたのは、稀代のヒットメーカーであった蔦屋重三郎の話題作りだったという意見もあり、当時からミステリアスな存在でした。
現在、写楽の作品とわかっているものは役者絵が134枚、役者の死を惜しんで出版された「死絵(しにえ)」とも呼ばれる追善絵が2枚。加えて、相撲絵7枚、武者絵2枚、恵比寿絵1枚が見つかっています。このほか下絵として、役者絵が9枚、相撲版下絵が10枚あり、2008年には肉筆役者絵も1枚見つかりました。ほぼ写楽の作品だとされています。
写楽の作品群は、発表時期によって4期に分けられています。代表作と言われる「二代大谷鬼次の奴江戸兵衛」、「市川蝦蔵の竹村定之進」、「嵐龍蔵の金貸石部金吉」、「三代坂田半五郎の藤川水右衛門」などはすべて前期の第一期に刊行されたもの。役者の表情やしぐさを大胆に切り取り、一枚の大きな浮世絵で表現した写楽の「大首絵」は、役者の個性が際だつイラストレーション。顔だけでなく、手や着物にも動きがあり個性とともに役柄もきっちり表現しています。また着物には役者の家紋が入っているため、誰が、どの芝居をしているところかが伝わる仕組みです。当時の浮世絵は、歌舞伎興行の宣伝チラシとしての役割を果たしていたのでした。
しかし写楽の絵はあまりにも役者の個性をデフォルメしたため、役者本人からの受けもあまりよくなかったといわれています。斬新な手法は江戸の浮世絵界に賛否両論を巻き起こしたのです。
大版元から、豪華な雲母刷りの大判浮世絵でいきなりデビューした写楽。当時も今も正体は明かされていませんが、長年の研究で阿波の能役者であった斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ)が写楽だという説が有力です。しかし第一期および第二期のインパクト抜群の構図、繊細な描写に比べて、第三期、第四期の浮世絵は精彩を欠き、技術的にも稚拙なことから「後期は別人が書いていた」「工房が請け負って制作し、写楽本人は手を出していない」という説もあります。
いずれにせよ写楽の役者絵は明治以降に再発見され、現在では国内外で非常に高い評価を得ています。
東洲斎写楽の作風
東洲斎写楽の作品は、対象をデフォルメしたインパクが特徴です。とくに役者絵の顔をアップにした「大首絵」では歌舞伎役者の表情や顔の特徴を大胆に描いて、人目を惹きました。ただし発表当時の江戸時代には大人気を博したとは言えないようです。役者絵は歌舞伎役者のブロマイド的なものだったため、ファンは役者の個性より美醜を優先した面があったからです。しかし写楽のオリジナル路線の大首絵は、イラストレーションの傑作として現在に至るまで高く評価されています。
東洲斎写楽の略歴
年 | 略歴 |
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1794年(寛政6年)5月 前期・第一期 | 「三世大谷鬼次江戸兵衛」を含む28枚の役者大首絵で、画壇に登場する。版元は蔦屋重三郎。すべて大判浮世絵、雲母摺りの豪華版だった |
1794年(寛政6年)7~8月前期・第二期 | 二人立ちの役者絵、全身像7枚、細絵30枚を発表 |
1794年(寛政6年)11月、閏11月 後期・第三期 | 歌舞伎、顔見世狂言44枚、大首絵10枚、追善絵2枚を発表 |
1795年(寛政7年)1、2月と推測 後期・第四期 | 春狂言を画題にしたもの10枚、相撲絵2枚を発表 |